続・ティポロジアと「機能」の問題

 2日間ほどネット接続が悪く疲れもたまっていたので前のエントリは尻切れとんぼになってしまった。あらためてポンペイを観察しながら書かれた二つの文章を短く引用してみよう。

しかし、たとえこれらのさまざまな状況的コンテクストを無視しても、住宅の本来的な機能を発見することができる。(陣内秀信『都市を読む − イタリア』法政大学出版会、1988、p.188)

それらの部屋は何のためにあるのか? それは問題外だ。二〇世紀の後、歴史的な暗示なしに、建築が感じられる。それだのにこれはごく小さい家なのだ。(ル・コルビュジエ『建築をめざして』1924/吉阪隆正訳、SD選書・初版1967、p.141-142)

 この二つの文章はおそらくほとんど同じことを言わんとしているのではないか。つまり、私たちがある都市的複合体(urban tissue)を構成する「住宅〜家」を観察したとき、そこに張り巡らされているはずの生活行動の複雑な連関や、住人の信仰や常識や感じ方などについての知識をほとんど持ち合わせていなくても、その「住宅〜家」を成り立たせている基本原理を直観的に捉えうるのだということ。ポンペイはほとんど二千年前の都市だが、だからこそそれはある種の驚きであり、同時に確信の根拠ともなるのだ。
 そうして直観できる何かを、イタリアの都市学はティポ(類型)といい、ル・コルビュジエはアルシテクチュール(建築)(それは「小さな家」にすら感じることができる!)と呼ぶ。何がその元素か。ひとつは材料・生産技術だが、もうひとつを陣内は「本来的な機能」といっている。ル・コルビュジエは同じことをたとえば「住むための機械」と呼んだのではないか。それらは「状況的コンテクスト」からは独立であり、また「それらの部屋は何のためにあるのか」という歴史的な知識を「問題外」とするような判断力とかかわっている。「本来的な機能」や「機械」という言葉は、どうやら私たちが普通に使う「機能」という言葉とは異質であるらしい。
 そんなことを、実は今夏前半の調査(吉貝島、8/3〜11)のなかで考えていた。私たちは機能主義批判に慣れ過ぎて、ある形態を成立させる基底的な条件を捉えようとするとき、「機能」という言葉を持ち出すのに抵抗感がある。しかし、言うまでもなく建物の形態は、その集合様態による制約や、材料・技術だけでは決まらない。たとえば使いようのないサイズの宅地は(外傷による場合は別だが)基本的には発生しない。しかし建物を2層、3層にできる材料と技術があれば、宅地サイズの下限は下がる。宅地が細長くなったり、もっと小さくなったりすれば、自ずと大きな宅地で成立したのとは別種のプランが生まれるだろう。地割、技術、機能の3つは互いに作用しあい、参照しあって、建物の形態を絞り込むように生み出す。
 重要なのは、このときの「機能」を、機能主義がいうのとは異なる意味で捉え直すことではないか。今夏の調査ではそれを、ある有限の宅地に対して、技術がアフォードする可能な三次元テリトリーの活用を最大化すること、と定義できるのではないかと考えた。いい換えれば、想定される三次元テリトリーのなかに、個空間(ルーム)と分配空間(サーキュレーション)の組織をいかに組み込むかという問題である。すべてのルームがルームたりうるサイズやプロポーションをしており、かつ公共空間(道路等)から入ってすべてのルームに行くことができるようにサーキュレーションが組み立てられていること、これらが必須の要件であり、想定される可能な三次元テリトリー(リソース)の活用が最大化されていればいるほど、それは一般的に普及し、類型(ティポ)となるだろう。
 実際の用法が分からなくても、こうした空間組織を成立させている「意図」は分かる。組織という言葉に違和感のある人は、都市組織(urban tissue)という言葉を思い出せばよい。そこではある有限の地形(地理)に対して、個空間(ロット)と分配空間(サーキュレーション)の組織をいかに最大効率で組み込むかという問題が、集落類型を生み出す。漁村と京都が似ているという感覚こそが、「本来的な機能」という言葉に実感を与えるだろう。同様に、有限の宅地に対して個空間(ルーム)と分配空間(サーキュレーション)の組織をいかに最大効率で組み込むかという問題が当然あり、ポンペイのドムスと中国の四合院が似ていても驚くには足らない。また、ティポロジアがそう考えたように、世界は諸要素が階層化されながら依存しあって構成されている。
 土地や技術から切れ、抽象化された機能(プログラム)を措定し、それを分解し、再構成するという操作によって建物の形態を生成させる、いわゆる構成主義的な「機能主義」の思考とは違って、「本来的な機能」とは、土地や技術と相互に作用しあい、かつ、都市(集落)から個室や階段にいたるまでの世界の階層構造をなすように、基本的な空間分配の組織を求めることだったのではないか。
 ル・コルビュジエの情熱や創意は、いつもそのような意味での組織を新たに発明することに向けられていたように見える。彼の住宅はいつも単純な直方体をしていて、その内部の空間組織の発明が、同時にその集合レベルの組織の発明にもなっている。彼は新しい技術によって、三次元テリトリーの可能態がドラスティックに更新されたことを受け止めて、新たなティポロジアを生み出そうとしたのではないか。もちろん、建築レベルの稠密性に比して、都市レベルではフリースタンディング・オブジェクトの林立になってしまったわけで、それはポンペイ以来の現実の都市組織とは何の妥協可能性もなかったわけだが、そのこと自体は、たんに飛行機・鉄道・自動車という高速移動手段が可能にするサーキュレーションをまっとうに引き受けた結果にすぎなかったのだともいいうる。いずれにせよ、ル・コルビュジエという人の考え方には、ヨーロッパ的な都市組織への想像力が連続していることは否定しがたいように思える。むしろその徹底が「輝く都市」を生み出したとさえ考えてもよいのではないだろうか。