ティポロジアと「機能」の問題

 陣内秀信『都市を読む − イタリア』のなかで、僕は「ポンペイ」の章(p.186-210)がいちばん印象的だ。この章で陣内は、「住宅を取り巻く文化的・社会的経済的・歴史的・地理的なさまざまな状況がある。たとえば前近代住宅と近代住宅、古代住宅、プリミティブな住宅、都市的住宅と農村的住宅、聖教的住宅、産業的住宅、貴族住宅と庶民住宅など、住宅が置かれている時間・空間的なコンテクストの違いにより多様な住宅が存在する」と述べた後、こう書いている。これをすんなり読める人は実は「読み飛ばしている」のではないかと思われるほど、難解な文脈だ。

しかし、たとえこれらのさまざまな状況的コンテクストを無視しても、住宅の本来的な機能を発見することができる。すなわち、すべての住宅に共通した確定的な基本的条件である素材、建築技術、空間の概念、社会構造などを枠組のなかで再構成することからはじめなければならない。(陣内秀信『都市を読む − イタリア』法政大学出版会、1988、p.188)

素材と技術、これらはよい。しかし、「空間の概念、社会構造」は「さまざまな状況的コンテクストを無視しても」見いだされる「確定的な条件」なのだろうか。そもそも状況を超えて措定しうる「本来的な機能」とは何なのか。そんなものはありうるのか。
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(長目の昼休み終わり。今朝は「素材と技術」について職人インタビューをしました。これからは「空間概念」のコンテクスチャルな選択・変形・集合に関する調査に行って参ります。学生たちは今日は図面描いてます。夜、余力が残ってたら続きを書きます)
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(つづき 20110812朝)同じポンペイに関する次の文章も面白いと思うがいかがだろうか。

結婚の家、ポンペイにて。やはり道路での精神を取り除ける玄関。そしてカベイディウム(控の間)に入る。真中に四本の柱(四つの円筒)が、屋根の蔭に向って一挙にのびる。力の感じと力強い手段。だが奥には柱廊を通して輝く庭に、大らかな光の面としてひろがり、届き目立たせ、左に右に遠くおよび、大きな空間をなす。二つの間には、タブリウムが写真器のレンズのようにこの眺めを限定する。右と、左に、二つの小さなかげの空間。みなの雑踏の道、思いがけない絵画的な眺めが一ぱいの場所から、こうして一人の〈ローマ人の〉家に入ったのだ。威厳ある大きさ、秩序。立派な広がり、一人の〈ローマ人の〉ところにいるのだ。それらの部屋は何のためにあるのか? それは問題外だ。二〇世紀の後、歴史的な暗示なしに、建築が感じられる。それだのにこれはごく小さい家なのだ。(ル・コルビュジエ『建築をめざして』1924/吉阪隆正訳、SD選書・初版1967、p.141-142)