開拓者としてのヒト

 昨日6月28日(火)、僕が担当幹事をしている設計科目で兼任講師の先生方にレクチャーをしていただく「イブニングトーク」の本年度第2回目を行った。小島真知、山本祐介、安部良、古見演良の4人の建築家のお話はどれも興味深いものだったが、個人的に一番引き込まれたのは阿部さんのレクチャー。
 安部さんはまず瀬戸内の男木島(おぎしま)のサーヴェイについて紹介してくださった。斜面に貼り付く高密な集落。厳しい傾斜地に築いた石垣をそのまま垂直に立ち上げるかのように建物を築き、庭は内に開く。石垣と家屋の垂直の連続面は、家の輪郭であると同時に路地の輪郭でもあり、つまり土地/建物の一体不可分性の現れでもあるのだが、しかし空き家率が高まり、家が傾き、取り壊されると、この一体性はほころび、土地があらわになり、やがてはその土地も崩れ均されていくのだろう。1950年代の航空写真では、島の斜面地のうち、集落以外も大部分がコンタに沿った圧倒的な農地のパタンを描いていたが、それがほとんど森に帰ってしまった今日の航空写真と対比すると、当然ながらあの農地は大地(ランド)に対する人の渾身の働きかけが生み出したものだったことにも気づかされる。
 近くの豊島(てしま)で、瀬戸内国際芸術祭出展作品のひとつとして安部さんが「島キッチン」をつくったのは周知のとおり。私はまだ行けていないのだが、あらためて建築の際(きわ)を問うとても奥深いプロジェクトだと気づかされる。敷地は無住となった宅地。残された廃屋をキッチンに改修し、あらわになってしまったニワに薄い屋根を被せることで場所を再定義してみせる。屋根には真中に穴が空いているから、かつての密実な集落景観をつくっていた囲み型の家屋の継承だと分かるが、石垣の延長上に垂直に立ち上がる固い家屋とは対照的に、この屋根は日覆いのごとく薄く、ゆらゆらとはかなく、でも力強いという不思議なあり方をしている。素材も、柱は直径30mmの水道管、曲面をつくる骨は鉄筋、葺材は焼杉の板と、地域的でも工業的でもある。屋根葺きは地域の人たちが集まって焼杉をストラップで鉄筋に結わえていくという、かつての茅葺き屋根の「結」とか「講」と呼ばれる慣行を思い出させるが、いかにも簡便で手軽であり、西方の遊牧民のテントのようでもある(実際、法的には建築物ではないし、風の強い冬場には葺材はすべて取り外されて骨だけになる)。中心に穴の空いた屋根は、緩やかだが外に向かって落ちる勾配をとっており、かつ、起伏と段差のあるニワの地形に対して極端なほど低く寄せてあるために、明確な中心性をもった広場が形成されているのだが、しかし壁がまったくないため低い軒下を通してその領域性は周囲にこぼれ、拡がってゆく。
 最後に石巻からのレポート。津波に洗われ、土地・地形(ランド)に瓦礫が堆積した風景は、ここでもランドにヒトはいかにかかわりうるのかを問うているし、たんなるハードとしての建築というより、いわば開拓者としてのヒトがランドを加工し立ち上げる何ものかのあり方を問うている。

※有馬恵子・アサノコウタ・安部良・金田充弘のみなさんが展開している被災地再生支援の活動 CfH のサイトはこちら