ニュー・オブシディアン
最近読んだ(↓)(一部読了に至らず)。
- 吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫、2004)
- 河田恵昭『津波災害〜減災社会を築く〜』(岩波書店、2010)
- レベッカ・ソルニット(高月園子訳)『災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか』(亜紀書房、2010)
- ジェイン・ジェイコブス(中江利忠・加賀谷洋一訳)『都市の原理』(SD選書、鹿島出版会、1971/2011新装再刊)
最近送っていただいた(↓)。
- 高村雅彦編著『タイの水辺都市』(法政大学出版会、2011)
- 初田香成『都市の戦後―雑踏のなかの都市計画と建築』(東京大学出版会、2011)
高村さん、いつもありがとうございます。そして初田さん、刊行おめでとうございます。お二人とも青井の著作等引用いただき恐縮です。ありがたいなー。
さっき予約した(↓)。早く出ないかな。
- 牧紀男『災害の住宅誌: 人々の移動とすまい』(鹿島出版会、2011)近日刊行予定
ぼくチャタル・ヒュユク Catal Huyuk(Çatalhöyük)という集落遺跡(現在のトルコ)がすごく好きなんだけど(行ったこともないのに)、ジェイコブスは上掲の本で、この遺跡を「都市」と認め、それに続いて登場するだろう架空の都市「ニュー・オブシディアン」を描写している。オブシディアン obsidian とは黒曜石のことで、この都市は狩猟採集民が喉から手が出るほど欲しい黒曜石の交易センターとして繁栄した。都市住民は諸地方から集まってくる多様な種子による交配種の開発を進め、やがて都市内の農地をいわば郊外化・専門化するかたちで「農業」を生み出す、つまり都市は農業に先行し、都市こそが農業を生み出すというわけだ。アダム・スミスもマルクスも疑わず、ゴードン・チャイルドが都市革命論として定式化した伝統的な農業先行論(農業革命ののち、収穫の余剰を社会化することで都市が生成するという)を、ジェイコブスはこんなふうにひっくり返そうとした。多様なエージェントの相互作用を重視するジェイコブスらしい。これもちろん「創発 emergence 論」型の議論で、つまり村でなく都市こそが不断に(役に立とうが立つまいが)「創発」を生じうるという主張。
チャタル・ヒュユク遺跡(BC7500頃)ってホントおもしろくて、ミチがないんだ。
上記トルコ語綴りをコピペして画像検索してみてください、色んな復元想像図が出てくる。とにかくミチ=公共権力の生成以前。みんな陸屋根の上を歩いて、ハッチを開けて家に入ったとされている。
でも家が四角くて高密集合をなしているのはとんでもなく新しかったのではないか。はるか彼方の異境から、人々がこの異様な集落めざして交易の旅に出たのだろう。実に様々な遺物が出土するらしい。ニュー・オブシディアンは架空だが、ジェイコブスにとっていわば論理的蓋然性の世界に存在する都市だ。ここからは僕の想像だが、この街ではきっと家と家のあいだにミチが挿入され、四角い家には中庭が穿たれたかもしれない。毎年学生に見せているNHKスペシャル四大文明によるとチャタル・ヒュユクと同じアナトリア(小アジア)で発見されたチャユヌ(Çayönü)遺跡にはすでに小麦耕作の証拠があり、彼らが何らかの事情に強いられ小麦の種子を携えてチグリス・ユーフラテス河口へと移動する。肥沃な泥に出会い、灌漑技術を発達させて小麦耕作の可能性をうんと拡張した。その地にシュメールの都市文明が花開くが、そこまで来ればもう今日のアラブやマグレブの都市とほとんど変わらないわけです。