山口弥一郎の「集落移動」研究と牧紀男さんの「移動する人々」

昨日書いた研究室の短期集中作業・略称サンリクゼミのため色々調べている過程で出会ったのだが、山口弥一郎(彌一郎/1902〜2000)なる人物がすこぶる面白い+重要。福島県会津美里町に生まれ、亜細亜大学等で教鞭をとった山口は、東北地方の歴史・地理・民俗の研究で300を超える著書を残している。私たちが注目したいのは、三陸地域の津波災害にかかわる「集落移動」の研究群。1933年のいわゆる昭和三陸津波の被害もいくぶん落ち着いた1935年から開始された彼の調査は、200を超える対象集落について、戦争を挟んで20年を超えて継続された。1896, 1933, 1960の三度の津波災害が射程に入っている。関連論文は多数あるが、ひとまず戦前の調査をまとめた単行書・山口弥一郎『津浪と村』(恒春閣書房、1943)を図書館で探されるとよい。
彼の関心は簡単にいえばこうである。大災害に迫られることで三陸地域の都市・集落はどのような「移動」を行ったか、その様式を分けた要因は何か。せっかく高所へ「移動」した家々が原集落へ戻ってしまうのは何故か    丹念な調査により実に複合的な力学とプロセスと形態とが観察されている。ひとことで言うなら、「移動」に注目することからヒトの集団的定住の意味を問い返す仕事なのである。
いま研究室の院生たちが沿岸部集落をリストアップして、そのひとつひとつの「集落移動」(非移動や原地復帰も含む)の様態を示す図や記述の集成作業を進めているが、山口による無数の断片的記述もそのなかに盛り込まれるだろう。あと2週間で第一次の成果公開を目指している。

さて今日(4/16・土)は午前中に銀座INAXにて牧紀男さん(京都大学防災研究所准教授)と対談した。「移動」派の牧さんに山口弥一郎の仕事を紹介すれば反応ないわけない。移動、仮設、生産、循環的時間と直線的時間、そして建築家の役割などをめぐってお話をうかがった。対談の内容は 10+1 website でやはり2週間後に公開の予定。もちろん、近刊予定の牧紀男『移動する人々〜災害の住居誌(仮)』も楽しみです。

ps. 銀座からの帰りに読んだ新聞で、足助町(私の生まれ故郷の村のトナリ)の町並みが文化審議会で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されたことを知る。伝建第1号の妻籠の保存運動とも初期から連携するほど先進的な取り組みがありながら伝建オファーを蹴って独自の注目すべきまちづくりを展開してきた足助も、合併先の豊田市の下でについに伝建の仲間に。地に足の着いた包括的なまちづくりの特色が消えないよう、豊田市さんの度量に期待したい。