ジョン・ターナー情報 追補

 うっかりしてました(汗)。『群居』創刊準備号に、ターナーのこと書いてる、布野修司先生が。ターナーは1982年6月9-16日に国連アジア太平洋都市会議(於:横浜)出席のため来日していて、しかもその折に何とターナーから電話をもらって会ったところ、セルフ・マネジド・ハウジングに取り組むローカル・グループ間の国際的なネットワークづくりについて熱心に語ったのだという。ターナーはまたそのとき Starter Kits と称する、ハウジング活動に取り組もうとするローカル・グループに提供すべきコンパクトなテキスト・キットのアイディアも語ったらしい。共通原理と実践例を含むペーパー・セレクションに、様々なマニュアル、あるいは活動グループや関連文献をリスト化したアペンディクスなどからなるパッケージだったみたい。
 当時この種の分野にも役に立たない情報が氾濫して混乱を招いていたことがターナーがこれを思いついた背景のひとつだというのだから興味深い。1970年代にセルフ・ヘルプへの舵が切られ、世界的に多くのグループが叢生し、一定の相互批判も経て、次の段階がすでに構想されつつあったわけで、スラバヤを拠点とする布野の盟友J・シラスはもちろん、フィリピンの Freedom to Build、タイの Building Together (1993年頃に田中麻里さんと布野にくっついて僕もバンコク郊外のサイトを見学した)といったグループの間に生まれつつあった関係にオーバーラップするように、ターナーもまた1981年に東南アジアに接触しはじめていた。『スラムの惑星』でのデイヴィスのターナー批判はちょっと一方的すぎる気はする。こうした動きの厚みも見なければならないし、同時に当時の日本が辿りつつあった動向も僕らにはよく分からないところがあり、それこそがむしろ重要だ。その辺、近々布野さんに直接きいてみようと思う。あの約束も守らないといけないし。

書誌情報:

  • 布野修司「アジア・ハウジング・ネットワーク」(『群居』創刊準備号、1982年12月、p.51-59)
  • J・FC・ターナー「ハウジング・アクションのためのクライテリア」(『群居』創刊号、1983年4月、p.6-12)。訳者が明記されていないけど、文体からみてたぶん布野。