娘の七五三。大国魂神社の白州にて。

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娘の七五三ってことで武蔵国の「国魂神」を祭る東京府中の古社・大国魂神社へ出かけてきた。拝殿と本殿の間には中門も幣殿や祝詞殿もなく、ただお白州と呼ばれる祭庭だけがある。申込書を書き祈祷料を払った人々がこの祭庭にまとめて案内され、お祓い・祝詞奏上・玉串奉献を済ませて帰ってゆく。お白州には、天に抜けた庭を残して、本殿側に開いたコ字の型平面の幄舍(仮設の小屋)が建てられている。なるほどね。
昭和戦前期の内務省神社局ではまさに拝殿から本殿までの連結こそが課題とされた。新規創建や大幅な改築の場合なら、この仮設建築物に相当するものをあらかじめ建築の一部として設計してしまえばよい。実際、角南隆らはこの部分にいくつかのヴァリエーションを開発した。祭庭を二重・三重に連ねて階層化する例もある。この鉄とアクリル波板の小屋、たんにアドホックとも言いがたい含蓄があるのだ。
もうひとつは数量的問題。家内が試算してみたところ、玉串台が30脚。1脚に子ども4人が割り当てられていたので、一度に案内される子どもの数は120人。同伴の家族等をあわせるとおおむね500人がコ字型の仮設建物の屋根の下に収容されていたことになる。昭和期以降の神社ではこうした空間の量的検討が行われている。
実は各地の神社でこの種のテンポラルな対応や増築例がみられる。そういう事例の観察から神社におけるプランニングの問題が見えてくるものなのです。