決定論は存在しない。

建築の歴史においては厳密な決定論は存在しない。選び出された発展の厳密な評価が歴史家の手で示され得るのは、ただ、彼らがその出現の過程をすべて把握しており、ゆえにそれを定型として見なすことを可能にすべく、さまざまな事例の連続性を合理的に説明し得るという理由によるのである。
(スピロ・コストフ著・鈴木博之監訳『建築全史』住まいの図書館出版局、1990 p.220)

Samos_Hera Artemis_Corfu
任意の何かを結果として選びとった者のみが、先行する別のものたちをその起源として連続的・連鎖的に指定しうる。
ギリシアの石造神殿は、木造時代のそれを原型として、材料だけを置き換えることによってあのような形態が生まれたのだという、いわゆるサブスティテューション(置換)理論は、伊東忠太なんかにとってはとても重要な、いや切実な議論だった。だって、日本はまさに木造から鉄筋コンクリートへのサブスティテューションを経験しつつあったのだが、ギリシアはそのサブスティテューションによってあのような晴れがましい姿を勝ちえたのだから。もちろんこの理論は忠太の発明ではなくてヨーロッパから勉強したもの。忠太が掲げているような木造神殿の絵は、むしろ石造神殿の石を木に置換した建物の姿というべきで、つまり連続性を担保するために仮構されたものだった。ところが、上の左図のようなより考古学的蓋然性の高い復元図が示されると、今度はこれと右図を連続的につなぐことのできる新しい説明が必要になってくる、というわけだ。
さてしかし、やはり我々はこうした連続性の説明によって歴史をつくるほかないし、そういう能力のような宿命のようなものを抱え込んだ存在なのだと思う。僕は、ギリシア神殿建築の周柱式(内陣の箱に柱列を巻き付ける)というあの考えてみれば異様な表現は、エジプト、バビロン、ペルシャ等に見られた多柱室への執着を建築の外部へと反転したものだなどと解釈しています。