高橋康夫先生退職記念シンポジウム「都市史学が開いた地平:都市と歴史と自然をめぐって」

昨日になってしまったが、都市史研究(とりわけ日本中世都市史研究)の先駆者・高橋康夫先生の退職記念シンポジウム・祝賀会に行って、さっき帰ってきた。たいへん刺激的なシンポジウムだった。

京都大学大学院工学研究科建築学専攻・高橋康夫先生退職記念シンポジウム
「都市史学が開いた地平:都市と歴史と自然をめぐって」
パネリスト:高橋康夫・陣内秀信伊藤毅  進行:中川理
日時:2010年4月17日(土) 13:30〜16:30
会場:京都大学紫蘭会館稲森ホール

高橋先生はご自身の研究方法を、場所にこだわりながら「泥縄式」にずるずる調べていくスタイルだと言っておられたが、一方で誰もが知るとおりきわめて数学的・構造的な冷徹さをお持ちだ。しかし都市研究そのものが実は宿命的にそうである他ないのかもしれないとも思う。というのは、都市はたくさんの有名無名な者どもが凝集してうごめくところで、それゆえに自ずと構造化されざるをえない、その必然にして奇跡的なメカニズムをいかに説明するかという謎解きこそが重要なのだとしたら、泥縄式に有象無象にかかずらうことも避けられず、かつ、それらがひとつの組織(物的にはアーバン・ティシュー)をなすという不思議を構造的な仮説によってえいやと説明してみせることも方法的に不可避なのだろうと思う。実際、公・私・共とか、町・境内・グリッドとか、古代・中世・近世とかといったフレームの明快さは、日本都市史の大きな特徴であろう。こうした視点に立てば世界のいかなる都市も同じように見ることができる。いみじくも高橋先生が言われたとおり、たとえば世界中どこにいっても「辻子」はあるし、路上の便所もある、というように。そして都市とは何かと振り返ったときに(いわば構造化をなしとげてしまうメカニズムとしての)無意識の問題が出てくる。どんなに公権力や共同体がそれ(=都市)を僭称しようとも、やはり残るものがある。
ひっかかった点がひとつ。「自然」がこうした議論とどう関係するかだ。ここでの自然はあくまで都市にかかわってある自然のことであろう。都市とともにある山、川、あるいは境内の森などは、(僕などが指摘するまでもなく)やはり公権力と私権と共同性の交錯する場であって、にもかかわらず「都市と自然」というように分けてつなぐのはあまりよくない。あくまで人間集団が深く関与し制作しているものでありながら、ある美的判断においてそれを「自然」とみなして囲い出すことに日本のナショナリズムの核心的問題があるとすれば、自然と言いそうになってしまうものもまた、徹底的に泥縄と構造化でもってアプローチすべきだろう。
パーティ終了後、参加者全員に高橋康夫著『京都:歴史と自然のあいだに』、『高橋康夫先生著作目録』等のプレゼントが先生ご夫妻から手渡されました。高橋先生お疲れさまでした。今後ともさらなる開拓を期待しております。