新しい神社?

『新しい神社・寺院 New Shrine and Temple』(建築写真文庫71、彰国社、1958)より
讃岐金刀比羅宮鳥羽分社01 讃岐金刀比羅宮鳥羽分社02
讃岐金刀比羅宮鳥羽分社 Kompira-Sanuki, Toba Branch Shrine (三重県鳥羽市、1956年竣工)。設計者は坂本鹿名夫(1911-87)。知る人ぞ知る“円形校舎”シリーズの設計者。興味ある方は梅宮弘光氏のこの論文を参照されたい。
左は「原案」で、放物線アーチ(ヴォールト)を用いているあたり時代を感じさせるが、しかし神社としてはたいへん珍しい提案である。結果的には(経緯は不明だが)RC造ながら右のような形態で実施された。左の模型にあった四周を取り巻くフラットな軒が実施案にも(そのままではないが)残っていて、一見すると屋根の下に蔀戸をはね上げたように見えている。「珍しい」と書いたのは、実際に近代建築的な神社社殿の提案は珍しいから。戦後復興でRCを採用した神社はかなりの数にのぼるが、それでも(木造ではなおさら)昭和初期に確立したいわゆる「内務省様式」がむしろ戦後も全国の神社をますます覆っていったと目される。実際、モダニスト坂本のこの原案でも、プランはまさに標準的な内務省プランであり、そのプラン自体は彼には批判しようもなかったのであろう。彼にとってこの設計はチャレンジだったかもしれないが、同一のプランに異なる屋根が載りうるという折衷主義の古典的問題が皮肉にも繰り返されてしまっている。しかし、にもかかわらずこの提案にある種の開放性を感じさせるほどに、神社の設計は定型的になってしまっている。
「昭和」を貫く神社の歴史過程とは、社殿のみならず、それを支える祭式(=プログラム)の定型化、境内の林相を含む環境設計の定型化なども含めて、神社そのものが多様性を失い、我々の神社イメージも画一化されていくプロセスであったと私は見ている。といっても・・・、近代の神社建築史はほとんど未開拓であり、こういう議論を伝えようにも基盤的知識すらないというのは、建築史研究が爛熟し閉塞しているようにみえる今日にあって、きわめて異様な事態だと言ってよい。