織物(fabric)の街・桐生。都市組織(fabric)もおもしろかった。

昨日は1日雑務に明け暮れてヘトヘトになって帰宅した。五輪女子フィギュアもだからリプレイで観たが、キムヨナをみた後は他の選手はみなフィギュアスケートというスポーツであった(意味伝わるかな)。

P2210501話は変わるが先週末に群馬県の富岡と桐生に行ってきた。両方とも産業遺産(近代化遺産)の街で、世界遺産とか重伝建とか目指している。擬洋風建築はもちろん堪能したが、やっぱり僕は街の方が面白がれる。とくに織物の街・桐生では、ノコギリ屋根の元工場のひとつにふらりとさまよい込んで持主の方に出会い、いろいろ話をうかがったのが大きな収穫。どうもノコギリ屋根というアイコンみたいなものが流通してしまっているが、桐生は、街としての独特のファブリックが読み取れるところが魅力だ。
オーナーの屋敷(+庭園)、工場、倉庫、それに所帯持ちや単身の工員宿舎、それらが一定の配置パタンをなして大きな屋敷地を構成している。こういう家が何十軒かあったのだろうか。他の比較的小さな家々はそれらの下請けとなる。街の中心部には、むかしは木戸門で仕切られた通りがあって、これが「買場」と呼ばれ、両側に長屋建ての取引所があった。そういうシステムが、近世の街割りの上にうまく展開され、明治以後も継承的に再編されたのであろう。当然、周囲の農村部と製糸工場がここに糸を供給するし、河川や鉄道がより大きなシステムを支え、そして街を守る天満宮の傍らに試験所や工業専門学校等が立地する(現在の群馬大学工学部)・・・そういう仮説的な見取り図のようなものが頭のなかでさーっと広がっていく経験が僕は好きだ。この種の経験をアフォードするようなまちづくりって、うまくやれないものかな。

P2210515この家は、背面の壁だけが赤煉瓦。他にも街のところどころに煉瓦の壁がある。話をうかがった方の屋敷地でも、工場と宿舎との間は煉瓦壁で区画されていた。街じゅうに工場が埋め込まれていたのだから、たぶん街じゅうに防火区画がつくられたのではないかと。