12月10日・第1回 都市発生学研究会・田中傑氏「関東大震災後の復興プロセス〜バラックから本建築へ」

006帝都の中心日本橋付近1この公開研究会は、主題たる都市へのスタンスをかなり絞り込んでいますから、いつまでも続けられるものではないし、2〜3年で10回やって終わりたい、その間にどうしてもこの人と議論したいという方を幅広くお招きしたいと思ってはじめました。その第1回を田中さんにお願いしたという次第です。会場には法政大、東大、あるいは東京下町!からの参加もあり夜遅くまで活発な議論になりました。この研究会がとてもよいかたちでスタートを切れましたこと、皆さんに御礼申し上げたいと思います。

(写真は僕が古書店で買った絵はがき。家並みは一見立派だが稠密な感じがなく屋根が白っぽいことに注目。)
さて田中さんのレクチャーでは震災後の都市景観を写し込んだ無数の写真資料を惜しげもなく披露くださり、個々の建築の動き、そして個々の会社や人物の奮闘を圧倒的な細密さで描き出してくださいました。レクチャー終了後のディスカッションから終電ぎりぎりの懇親会にいたるまで白熱した議論がつづいたのですが、私個人としては以下のような仮説について確信を深めました。

・田中さんのご著書(『帝都復興と生活空間』2006)で明らかなように、(被災直後をのぞけば)「バラック」は理想的自然状態(J・J・ルソーあるいはM・A・ロージェ)の発露などではありえない。仮設性は、それ自体が戦略的概念である。それは恒久性が要求する制約を一定程度外すことを正当化できる論理であって、それが可能にする世界をめぐって国家も資本も生活者も戦略を組み立てる。それゆえ歴史的でもある。
・「計画するもの/計画されるもの」(政府/住民)という対立図式は乗り越えられねばならない。たしかに、政策が強調されすぎている場合には「下から」の生成力を対置することに意味があるが、実際にはそこに生態学的な関係がつくられてきたのに、過剰に「抑圧/抵抗」(あるいは統御/逸脱)という図式が描かれてきたのではないか。つまり対立を含む主体間の相互的な関係が、結果=効果として一種の無意識=システムとしての〈都市〉をかたちづくるのではないか。見かけ上の対立によって不断に再活性化し持続する何ものかを、〈都市〉と呼びたい。
・おそらく、遅くとも平安末期にはこのような〈都市〉が萌芽的に生み出されたのではないか。つまり国家的管理とプライベート・マネジメントとその下での生活者との重層的な関係性が組み立てられており、それ以降、破壊と再生を繰り返す過程で、その関係性は継承的に再構築されてきたのだろう。
・日本都市では、土地と建物が一体化しているとみなせるユーラシア大陸的議論は成立しにくい。土地と建物は根底的には遊離している(と言えるのではないか)。陣内秀信先生が東京を主題としたときに突き当たった問題はこれだろう。そのとき、建物は変転がはげしくても、長い持続性を担保しうる「土地」に対するその「構え方」というレベルへと、議論をシフトしている。
・ところが、田中さんのご著書で描き出されているように、建築が容易に動くという、そのことによって実は土地も比較的容易に組み替えられうる。これも部分的には過去から繰り返されてきたことだろう。土地と建物の関係性はこうして再びレベルを変えて問わなければならなくなる。つまり動く土地と動く建物との関係性の問題。

しかしまあ、今日は最高でありました。田中さん本当にありがとうございました。