高過庵での顛末

R8033321御父上はそこに這い込むやいなや、おもむろに窓をぜんぶ開け放ってくださり、すると室内の小宇宙が、美しい峻峰に取り巻かれた諏訪の盆地というもうひとつの宇宙へと見事につながっていくのでありましたが・・・

PB215653旋風のためか突然ばたんっぴしゃりっと閉まった南壁面の小窓は・・・。

高過庵で起きた「事件」というのは、実はこういうことでありました。

PB215703その後、御父上と学生たちとで応急処置がはじまり・・・御父上の指示にしたがって学生たちはその辺からトタン板やら木材やら諏訪の平石を採集してきます。

やがて終わってみると、前からそうだったのではと見紛うほどに馴染んだ暫定窓ができたのであります。

いやなかなか楽しい一時でありました。

PB215696事故とはいえ本当に申し訳ありません。

ただ、寛大な御父上が、トタンの窓に心なしか満足気な表情であられたことに我々も救われたのであります。

しかし雨など吹き込むと大変です。ガラス屋さんを呼んで修理されたか心配です。

*今回は事前にお願いをして空中の庵に入れていただきました。御父上、是非変わらずお元気で。

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余談ですが、高過庵の南側にひっそりと祭られていたのは奥秩父三峰神社の「御眷属」。神の従者というような意味ですが、ここではお犬様、つまりオオカミ。幕末にコレラが流行したとき、コレラ英米列強が日本に潜り込ませた管狐(くだきつね、血管に入って悪さをするミクロの狐)だと信じられて、お犬様の霊力ならそれに対抗できるとして一挙にその信仰が広まったという話を読んだことがあります(高橋敏『幕末狂乱』2005)。葦で全身を葺いたこの小さな社も、御父上によると藤森照信先生がどうしてもやりたいとおっしゃって設計・制作されたそうです。