海野宿・茅葺き町家のメタモルフォーゼ
研究室旅行3日目の朝歩いた北国街道の海野宿にて。
資料館に展示されていた写真によると、昭和初期になっても旧宿駅の町並みは茅葺きと瓦葺きが混じり(大半は茅葺き)、そして寄棟の茅葺きは妻入りと平入りが入り交じるといったように、やや渾沌とした風景であったことが分かります。現在のような整然たる瓦葺き、平入りの町並み(それでも相当の多様性があるわけですが)になったのは戦後のことかと推察します。ところがこの一棟は、なぜだか変貌の中途らしき姿をわれわれに垣間見せてくれている。セミの羽化とか見ると興奮する感じに似ています。ひょっとして、また夜中のうちに少し変形して、翌日の朝はまた違う姿になっているんじゃ、などとも妄想してしまいます。
むかし、コーリン・ロウがこんなことを書きましたよね。ピカソやグロピウスでは透明な均質空間が前提とされて、そこにゲシュタルト(まとまりある形態)が配列される。僕は水槽のなかの熱帯魚に喩えてこのことを理解しようとしたことがあります(建築文化で連載したとき)。四角い水槽に入った水は三次元座標系を前提とする均質空間の比喩。で、もしこの水槽から水を抜いて、かわりに空気が入るのも許さなかったらどうなるか。いや魚がつぶれちゃうでしょ、というのも正解ですが、均質な媒質中に浮かんでいるのではない物体どうしの関係のありようをイメージすることはなかなか難しい、ということを言いたいだけです。つまり均質空間はいちど獲得されてしまうと我々の認識フレームを強力に縛るのです。もちろん、魚が存在するために空間は必要なのですが、その形式は均質空間のそれでなければならないということはないはずです。
で、グロピウス的均質空間に対して、ロウはル・コルビュジエの不透明な層の重なりを持ち出す。それは、層間の揺らぎが我々の精神に「事後的に」何らかの空間形式を獲得させようとする、という論法を組み立てているわけで、均質空間の専制的な拘束力を相対化する戦略としてはああいうやり方しかないのかもしれません。上の家屋の事例では、透明な媒質としての均質空間が拡がっているというよりは、茅葺き部分と瓦葺き部分の二つの異なる形態が食い合って辻褄合わせがなされる、その部分だけに現れる捩れた位相空間みたいなものを想定したくなります(何言っているかきっと分からないと思う)。
もっと難しいのは均質な時間を相対化することです。僕は、時間というのは実はあるとも無いとも言えない代物で、モノの形態が変化するパタンとしてのみ想像可能である、と考えています。時計も円盤と針がなす形態の変化による時間らしきものの形象化に他ならず、いろいろありうる時間形式のひとつにすぎない。そこで、ロウに倣って、あらかじめ均質な目盛りの打たれた時間のなかに事象を並べるのではなく、むしろ、前後関係だけが分かる事象と事象との関係から「事後的に」それをつなぎうる時間形式を精神が獲得する、というように考えるのがまっとうな戦略でしょう。言い換えると、形態Aが形態Bに変わったとき、その間をつなぐための時間形式というものを僕らはそのつど構成する、と考えるのです。たとえばある形の茎と葉をもつ植物にある形の花が咲き、散ったと思ったら、しばらくして同じような形が再現された、という場合、私たちは循環的な1年間という時間形式をつくり出す。寄棟で急勾配の茅葺き屋根をもつ民家が、緩勾配の切妻瓦屋根の町家に変貌するのもひとつの時間形式を示唆する。伊東忠太ならサブスティテューションなんて呼ぶかもしれない。そういうのを真面目にコツコツ採集する人がいてもいい。「時間の記録術」(クロノグラフィアと勝手に名付ける)は、こんな方法で可能になるのではないかと思います。