chrono-graphy(時誌, 時の記録術)についてちょっと追加

前回のエントリーで、なんで時誌(時の記録術)= chrono-graphy という言葉はないのかと素人まるだしで考えてしまったのだが、ふと気づいたことをひとつ。topo-graphy は場所の不均質性に由来する。見知らぬ場所の固有の特徴は旅して記録しなければならない。逆に、空間のなかの「ここ」も最も特異な場所性を持つ。自分がいる場所。それと異境との差異こそが topo-graphy の源泉だろう。
ところが時間のなかの「いま」は、多くの人々やモノと否応なく共有されてしまう。同時性。同時性を地球規模に拡張したのが近代世界システムだが、小さな世界は大昔からあるわけで、その内側にはひとつのシステムとしての同時性がある。しかも「いま」は刻々と動いていき、さっきの「いま」はすぐさま過去に送り込まれる。すると少なくともその世界の内では出来事は一本のタイムラインに乗り、それを超えることはできないということ、つまり順序(前後関係)こそが最も基本的なオーダー(秩序)になるということかな。chrono-graphy(なんてものがあるとして)はそのオーダーの上に起伏を描くことか、あるいはそもそもそれに抵抗することか。