地誌はあるが「時誌」という言葉はないらしい。

鈴木博之+東京大学建築学科編『近代建築論講義』(東京大学出版会、2009)を読んだ。鈴木自身の短い論考がどれも冴えていると思った(他の論考より明らかに射程が広い)。以下は本書への直接の感想ではないので恐縮なのだが、ああ面白いなと思ったのは、鈴木先生がロンドンの美術史研究所に留学したとき、図書室の配架が chronology, topography, biography の3つに大別されていたという話。時間・空間・人間。クロノス・トポス・ビオス。おお何と崇高な・・・と思ったりもしたが、それぞれ編年、地誌、伝記というヨーロッパの伝統的な学芸のジャンルを踏まえて理解すべきものらしい。たとえば地誌というのはさまざまな辺境を旅行して風景や風俗を記録するというきわめて具体的な実践のこと。

それでふと気づいたのだが、topography, biography は -graphy なのだけれど、chronology は -logy なのである。なぜだろうか。

連結辞 -graphy は記録あるいはその産物を、-logy は科学的・理論的な体系を指す。ギリシャ語・ラテン語のグラフィアは記述・記録するという身体的実践にかかわる言葉らしく、ゆえに、対象をそのつど固有のものとみなす認識とつながっている。これに対してロジアはある集合的事象あるいは概念を理論的に扱うこと、あるいは議論することにかかわるようだ。たとえばエトノス(民族)を例にとると、個別のエトノスを記録するのが民族誌(ethnography)で、エトノスとは?と論じるのが民族学(ethnology)ということになる。

先の図書室の配架でいえば、topography は旅をして個々の場所(トポス)を記録することであり、biography は語りを聞き個々の人物の生(ビオス)を記録することであろう。こうした対象への「直接性」を、人は時間(クロノス)に対しては持ちにくいということなのだろうか。
そう思っていくつかの英英辞典を検索してみたが、やはり chrono-graphy (時間誌あるいは時誌とでも言おうか)という言葉は辞書にないようだ。近いところで、chronograph というのがあるが、これはストップウォッチのこと。なるほどクロノスの記録ということか。しかしトポスが目盛りで計測できないように、クロノスもまた様々な固有の形態をとるとみなす立場がありうる。で、私たちにいま求められているのは時誌(時間誌)を書く実践なのではないかとよく思うのである。時間を可触的に形態学的に捉える、といえばよいのかな。さまざまな時間のあり方(形態)を採集的に記録する営み。

むしろ、 chronology の方がよく分からないなあ。時間論というニュアンスじゃなくて、年代学、あるいはもっと端的に編年のことだから、chronology というのは。英英辞典によると出来事の配列順序(オーダー)およびその決定方法に関する学問とある。未定位の出来事を、あるべき順序構造のなかに据えてゆく、そういうイメージか。できあがるのはより完全な一本のタイム・ラインということになろう。西洋のクロノスはやはり一本の矢のようなイメージなのかもしれない。その意味では chrono-graphy はすでに語義的に矛盾をはらんでしまうのかもしれない。

もうひとつ。 history のあり方を相対化して考えることを historiography というが、これはあえて直訳すれば「歴史誌」ということか。もう少し実践性が強く出る言葉を例にとって photography =写真術にならえば、「歴史術」と訳してもよいのだろう。chrono-graphy (時の記録術)はもっと直接的で可触的なイメージだ。

どうですかね、chrono-graphy (時誌、時の記録術)。

ちなみに、トポス→topography(地誌)/topology(位相幾何学)、ビオス→biography(伝記・人物誌)/biology(生物学)です。けっこう面白いと思いませんか。