10+1 website Oct.2009/特集:インテリアデザイン史を遡る

本日公開されました。10+1 website Oct.2009/青井哲人「建築・都市への「インテリア」的眼差し:「建築家・坂倉準三展」を通して」戸田穣「家具、この動くもの──ペリアン/ル・コルビュジエ《住宅のインテリア設備》(1928-29)」

追記:柏木博「強靱かつ官能的に生きた建築家──『シャルロット・ペリアン自伝』レヴュー」がアップされました。

編集部からの依頼は、「建築家・坂倉準三展」(神奈川県立近代美術館鎌倉・パナソニック電工汐留ミュージアム)をレビューしつつ、彼のインテリアや家具のデザインの仕事を位置づけてほしいというもの。しかしこれはなかなか難しい。
僕自身、建築を都市(urban fabric, urban tissue)から考えることに加えて、身体とインテリアの側から考えていくことに2〜3年前から興味を持ちはじめた(実は台湾調査でも最近は室内からのアプローチを試みている)。坂倉準三展には、坂倉の都市的なプロジェクトの戦後都市史・都市計画史における特異な位置をきちんと解き明かしたいと思って関わらせていただいたのだが、一方、汐留会場の制作に当たられた方々が掘り起こしていった家具やインテリアデザインの領域の面白さにも次第に引き込まれた。ただ、それを言葉にするのは易しくないし、それは坂倉ひとりの問題ではたぶんない。近代建築史・建築評論は一般に家具やインテリアを正当に扱えていないのである。
それはともかく、坂倉準三という建築家には、流れ連なってゆく内部空間の連続体をつくろうとする強い欲求のようなものがあり、それを支える流動的な曲面や曲線が、家具デザインから都市デザインまでに共通に見いだされるということを、今回の記事では書いてみた。つまり建築も都市もインテリアと捉える眼差し(インテリア化しようとする指向性)。汐留会場で映写されたある映像作品(記事参照)も大いにヒントにさせていただいた。坂倉の柔らかく流れる曲面・曲線は、前川國男にも丹下健三にもない性質のもので、ときおりアール・ヌーヴォーから表現主義にいたる系譜をも想起させるようなところがある。長谷川堯のメス=獄舎の思想にもつながるだろう。
いずれにせよ家具やインテリアの議論はまだまだ開拓の余地ありだと思います。