郊外は思ったよりぜんぜん濃密で不思議である。

授業を終えて家に帰ったら近所のお母さんたちと子供たちが集まっていて、こんばんわ、いらっしゃい、とか挨拶したら、パパさあ、男の子達お風呂に入れてくれない? とか言われて、あっ?ああ、とか言いながらあんまり知らない男の子たちと一緒に風呂に入ったりして、みんなで賑やかに食事した。そう言えば朝言ってたなあ、今晩はそんな約束をしてるとかって。
PA184430私たち家族はいま多摩NTの端っこの方にたぶん位置する出来立ての小さな郊外住宅地に住んでいる(いつまでも住むつもりはない)。地区計画の縛りがあるので5層程度の中層マンションが駅前に少しあって、学校と保育園、特養とグループホーム、そしてスーパーがあって、あとは戸建住宅地である。まあ中流の街だ。昨春から駅前の普通のマンションに住みはじめ、子供たちが学校や保育園に通い、妻がこども会だとか何とかやっているうちに、こういう付き合いがどんどん深まり広がっている。今日みたいなことは別段珍しくなく、しょっちゅう母たちと子たちは互いに行ったり来たりの濃密な付き合いをしていて、いざというときは子供を預けあったりもしている。それに引っぱられて父親たちも互いの顔くらいは知っている。
引っ越して来る前は愛知県の豊川稲荷妙厳寺)の門前町に6年間住んでいた。今とは対照的な古い街だ。それなりに頑張って町内の付き合いにも入れてもらい、僕などは毎年の例祭では進雄神社という氏神さんの境内で手筒花火を奉納させてもらっていた(火の粉が頭からふってきてめちゃ火傷する)。風呂敷をデザインしてつくろうと思ったときは路地の並びにあった呉服屋さんにお願いしたし、来客があるときはカドの向こうの菓子屋でケーキを買ったりした。それでもなかなか普段のお付き合いまでは踏み込めなかった。それにはもっと時間が必要だったのだろうし、最終的には我々に定着する気持ちがなかったのだから詮無しである。
そんなわけで、ついこのあいだ色々なところから越してきたばかりの人々が突然に関係を築き上げてしまう郊外の濃密さは(頭では分かるのだが)とても奇妙なのである。まだリビングでは女たちと子供たちがそれぞれ盛り上がっているが、僕はこのちょっとした感慨をブログに書き付けて、さあ、と〆切を過ぎた原稿を書くのであります。