世田谷美術館「オルセー美術館展:パリのアールヌーヴォー」

オルセーのアール・ヌーヴォー展世田谷美術館(内井昭蔵設計・1985)で見る。石山修武氏が世田谷村日記に、図録中のフィリップ・ティエボー Philippe Thiebaut「アール・ヌーヴォー期におけるパリの高級産業 Industrie du luxe a Paris au temps de l'Art Nouveau」が装飾芸術を産業のフレームのうちに捉えている、と紹介されていたのを読んで行こうと思った。
エクトル・ギマールによる手書き・原寸の長椅子立面図(1899-1900頃)には目を奪われてしばらく見入ってしまった。あのみずみずしい躍動感をもった鉛筆や木炭の線は、是非とも原寸図で見るべきデス!。あと小品ながら度肝を抜かれたのがリュシアン・ファリーズのサーヴィス・スプーン/フォーク(1893-95頃)。食器に植物をあしらったなどというレベルじゃない。小さなSFデアル。
ところで展覧会の仏語タイトルは "Art Nouveau et Industrie du luxe a Paris" 、「Indusrie du luxe」というと、たぶん英語では luxury industry で、日本語なら「贅沢品産業」とでも言うべきところだと思うのだが、図録中では「高級産業」と訳されている。ははん、この種の展覧会の来場者層に気を遣った訳語なのだなと邪推してみたりしたが、とにかく産業革命を通じて力をつけていった新興の資産家階級をマーケットとし、建築家、デザイナー、職人から画廊や商社、そして市や国家の組織的振興政策とが結合した、いわば贅沢品産業コンプレクスとしてアール・ヌーヴォーを捉える、というのがこの展覧会の視座らしい。面白い。逆にいえばそうした産業複合体の産物が、プライベートな室内を変容させていたったことになるからだ。
『個室群住居』で黒沢隆がふれたように、17世紀末以降(前戯ある性愛とプライバシーの観念とともに)「サロン」と「個室」(そして機能別の部屋)が誕生・普及するのだとすると、女性を主役とする身体的な室内空間をトータルにデザインすることに拘泥したのがロココで、その成立条件が新興資産家階級にまで滑り降りてくることによって流行するのがアール・ヌーヴォーなのだと考えてみる。それが国際的な競争とも絡みながら巨大な産業的体制をなしたというわけだ。ティエポー論文によれば、すでにモデルルームのごとき画廊のなかに家具調度・宝飾品・彫刻や絵画(浮世絵やその影響の濃いグラフィカルな作品も)を展示するような商法は普通で、そうしたあらゆる刺激にくすぐられて室内を改装する人がたくさんいた。そういう改装の仕事を最も多く残したのがアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドなのだという。しかし彼といえどもその仕事は壁面装飾、壁紙、暖炉、ステンドグラス、絨毯・・・と多くのデザイナー・職人あるいは商社との恊働関係なしには成立しなかったのである。