建築家坂倉準三展 開催記念シンポジウム・7月12日(日)・国際文化会館にて

R0022609本日建築家坂倉準三展 開催記念シンポジウムが開かれた。とても面白かったし、そもそも坂倉を公開の場で論じる機会そのものがこれまでなかったのだから大いに意義のあるシンポだったに違いない。しかし全体に何かすっきりしないものが残る不思議な後味。語れば語るほど、言葉の間から坂倉がこぼれていってしまうような・・・。ここではシンポの忠実なレポートというより、この後味を少しでもすっきりさせるためのメモを書くことにしたい。

午前の部で磯崎新は、主として戦後日本の近代建築をめぐる言説空間が坂倉を疎外してきたことを強調した。第一にモダニズムの日本化をめぐるナショナリスティックな問題設定については、坂倉は、これに不可欠の先例(パリ万博日本館・鎌倉近美)を提供したにもかかかわらず、しかしパリ−東京を直結するインターナショナルな場にいたためにこの言説には収まらない。第二に、小住宅・公共住宅をよしとする左翼的な支配的言説からは、坂倉による資本家・芸術家たちの邸宅群は評価されえない(以上は鎌倉のカタログおよび住宅建築の坂倉特集に書いておられるので参照)。いやまったく年齢を感じさせない勢いでズバッと切っていたのだが、すかさず司会の鈴木博之が首をかしげて聞き返した。右翼左翼といった図式、言説空間の政治といった枠組みにとりたてて乗せなければならぬ理由はあるのか、たんに坂倉の恵まれたブルジョア的性質が国家的問題と切り結ぶことを選ばなかっただけではないかと。

磯崎さん一流の政治的読みは、仮にそれ自体は妥当だとしても、(坂倉を疎外した体制の側から坂倉の位置をネガティブに指し示しはするが)坂倉自身をポジティブに説明することにつながるわけではない(磯崎さんの議論は、坂倉こそコルビュジエそのものであったと言うことによってこの問題を回避しているが、僕は坂倉がコルビュジエからズレていった部分の重要性を無視できない)。一方、鈴木博之のニヒルな指摘は適切な面があるのには違いないが、どうも坂倉再読という今日のシンポの問題提起自体を差し戻してしまいかねない感じがあった(今日は過激な磯崎を牽制するのが役回りだったのだとは思いますが)。

午後の部は、生前の坂倉を知らない世代のパネラーによって各論的な研究の知見と問題が提示されていったが、これがさらに坂倉像を撹乱して曖昧にしていく。内藤廣も指摘していたが、坂倉準三にはたしかに明快には語りにくいところがあり、ゆえにこの性質そのものをうまく言い当てることが求められる。内藤流にいえば、「キレがないのにはワケがある(笑)」というわけで、その「ワケ」とはリアルな都市と民衆とを引き受けたことにあるのではないかと。

別の言い方をすれば、坂倉の方法は「弱い」のだが、それゆえに、「強い」方法では切り捨てられてしまう多数の文脈に接続しえたというのが、さしあたり突破口になりうる語り方ではないかと思う。我々が取り上げたターミナルの仕事がその一番分かりやすい例だ。コルビュジエCIAM 的な計画を現実の都市に実現しようと思えば既存都市を根こそぎ破壊するしかない、ゆえに難波や渋谷の仕事を進めるなかでコルビュジエ的方法は変質せざるをえなかったはずで、変質させることで複雑に錯綜する都市に接続しえたと考えなければならない。逆に、丹下およびその門下生たちの「強い」方法は、万博やニュータウンのような処女地(非場所)でしか役に立たなかった。これはC・ロウの近代アーバニズム批判とおおむね重なる。

このように、「弱い」がゆえに坂倉が接続しえたコンテクストがたくさんあるはずで、それを丁寧に描き直してゆくことが、「語らない坂倉」「語りにくい坂倉」を語ってゆく方法ではあろうと思う。また「弱い」ことが積極的な意義を持ちうる時代状況ではある。

もうひとつ、今日壇上でふと考えさせられたのは、磯崎的言説が我々の視野を思っている以上に強く決定しているらしいということだ。彼自身が距離を置こうとする対象(国家とかナショナリズムとか)を彼が最も鮮やかに捌いてみせてくれており、またそれはつねに個人的に語られるのにその射程は少なくとも日本の建築家のなかでは一番大きいがゆえに、かえって磯崎的問題に我々の視野が限定されてしまうという効果があるのではないか。内藤廣が、土木から見れば建築家のアーバニズムなんて屁みたいなものと言っていたが、そういう外側からの視点が重要だろう。また、ペリアン+坂倉の「選択・伝統・創造」展(コルビュジエの「今日の装飾芸術」に相当)に出てくる「竹」を皆さんが「日本的なもの」の印のように語っておられたが、あの竹製スツールは台湾のものだし、竹は東アジア・東南アジア的広がりをもつきわめてヴァナキュラーな材料だ。

建築はどんどん痩せている。磯崎はむしろそこで闘い続けているのだから、批判すべきは私たち自身が建築論を豊かにする独自の戦略を組み立てているかどうかということである。ともかく今日のシンポジウムが何らかの起点となるためには今後の継続的作業が不可欠だ。