思いもよらぬリンケージ〜海から陸へ〜

 先日の広島行のなかで、谷口吉生設計の広島市環境局中工場(2004年竣工)を見た。ゴミ処理工場。巨大な機械がガラスのアトリウムの両側に収められて、圧倒的に美しいのだが音も匂いもしない。いやそれは仕方ないのだろうが、やはり美学の優位は僕には肌が合わない。谷口さん自身が慶応の機械工学科卒業でもあって、機械の扱いには相当こだわったということなのだが、それはやはり工学的というより美学的あるいは工芸的な洗練が勝っていたのではないかと思わせる。環境教育の推進も主眼とする施設なのだが、子供たちへの見せ方という点でもこうしたデザインの扱いには正直やや疑問が残る。とはいえこの施設を見るのなら事前に連絡をとって内部を案内してもらうにしくはない。大量のゴミが巨大なコンクリートの槽のなかでUFOキャッチャーのお化けみたいなのに撹拌される光景が、谷口的美学と出会うのはやっぱりすごいから。
 ところで、この施設をたいへん丁寧に案内してくださったやはり機械畑出身という男性に、これから私たちは離島部の豊島(現・呉市豊浜町)に行きますと言うと、ああ、その島の出身者がこの工場にもかなりいらっしゃいますよ、というわけで思ってもみなかったリンケージが浮かび上がったのだった。
_0022005 豊島といえば金柄徹『家船の民族誌〜現代日本に生きる海の民』(東京大学出版会、2003)で詳述されるように、かつては日本各地にみられた家船(住居としての船、もしくはそれに乗って生活する漂泊漁民のこと)が幕末明治以降急速に衰退していくなかで、様々な事情が重なりむしろ近代になって家船の生活を身につけた人々が住む島だ。家船についてなら、鳥取環境大学の浅川滋男先生の研究室がここ何年か日本を含む東アジア・東南アジアのパースペクティブで精力的な調査をされているので興味ある向きはその報告等を参照されたい(住総研研究論文集34号等)。豊島の場合は昔も今も陸上に家屋敷を持つ漁民なので、正確には出稼ぎというべきなのだろうが、高知沖とか長崎沖とか、戦前には朝鮮とかに出かけ何ヶ月も船に住んで漁をした。
 研究室の4年生でYという女の子がなぜか家船に興味があるというので浅川研究室の報告等を読んで勉強している。研究室の広島旅行中、僕が運転する1台だけ旅程を離脱して豊島を訪ね、集落を歩き、元漁師ご夫妻(ここの家船はメオトブネなのだ)のお宅にお招きにあずかり3時間ほども話をうかがった。Yはその後もひとり豊島で3日間調査をして帰って来た。この夏は我々の台湾調査に参加した後でヴェトナムにも足を伸ばすらしい。
 彼女の聞き取りによると、豊島ではどうやら戦後の復員とベビーブームで青年人口が急増し、島の非常に小さな漁場と出稼ぎ先のニッチ的漁場(先方の漁業組合に仁義を切って入らせてもらうのだから)が飽和してしまうために、1960年前後に集団的な“陸上がり”の必要に迫られたらしい。その就職先のひとつが広島市の・・・というわけだったのである。もっともその頃から家船の後継者そのものがほとんどいない。現在では船の大半が高齢者による日帰りの漁なのだという。
 浅川研究室によれば中国でも家船は激減しており、いまやまともな民族誌的データをとれる状況ではないという(逆に陸上がりのダイナミズムこそがテーマになる)。僕も14年ほど前、神戸芸術工科大学助手の時代に江蘇省の太湖周辺の集落調査に参加させてもらった時、湖岸に浮かぶ家船の集団を見た。陸の人たちに差別されるというような事情も聞いた。彼らももう今は陸上がりしているのだろうが、陸上で彼らに与えられるニッチはどんな場所なのだろうか。