都市・集住体・不法占拠

_0022094先日、広島の基町長寿園高層アパートを訪ねた。大高正人の設計になる鉄骨とプレキャストパーツの集合体は思った以上に時代の空気をぎゅっと封じ込めた濃密な建物で印象深かった。これを紹介した『新建築』1973年5月号には石井和紘が「ルポルタージュ 基町旋回」を寄せている。73年3月14日に東京から広島入りした石井が同月18日までの数日間にわたり毎日数人から十数人の関係者に会って話を聞くという凄まじいものなのだが、16日午後くらいからもう意識が朦朧としてきて質問ができないほどになる。何しろいわゆる〈原爆スラム〉の再開発である、関係諸方面の人々の思いも矛盾どころではない、石井はもう頭のなかの「コンガラガッタ糸」を「全部引っぱり出して捨てたく」なり、「耳の穴からドンドン引き出す」のだが、全部は出せないで少し残る、それがみるみる「白濁して」「痒くて仕方がない」・・・石井はこの怪物のようにうごめく何かをはじめから予感していて、このとき正確に《都市》だと識るのだが、最終日、まだ川沿いに残る〈スラム〉を歩く不思議にさわやかな描写でルポは終わっている。大高らメタボリストに続く世代の都市への感性を見る気がする。

toshijutaku7306_faceところで、この〈スラム〉を詳細にサーヴェイした記録が『都市住宅』1973年6月号に掲載されている。「特集 不法占拠 広島原爆スラム調査報告 − 責任編集=千葉桂司+矢野正和+岩田悦次」。あの伝説の「年間テーマ」制による特集「集住体」の、何と「第2年」のひとつ。編集部によれば「人間環境を現代都市のなかに占拠していくために、今われわれの手に入る武器の品目調べを目指している」とある。この広島基町調査の責任編集者たちの認識も奥深い。いまや〈原爆スラム〉も世代交代が進み、それなりに大衆消費社会に接続しており、ただ住宅とインフラだけが“不良”であるとすら言いうる、一方、このような事態はむしろ都市のいたるところに遍在する状況ではないか。編集部(植田実)とゲストエディタらとの認識はこうして〈スラム〉という言葉にまつわる先入観を可能なかぎり相対化し、タブーに閉ざされがちな世界を普遍的問題へと開いていく。これはまた70年代前半に通底する姿勢でもあるように思う。目の前にあった〈原爆スラム〉が消えていく、つまり戦後的空間との切実な距離感が、そこには当然ながら絡み付いているのだろう。
このような姿勢とデータを残された方々に深く感謝します。

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