建築家 坂倉準三展 はじまる:神奈川県立近代美術館[鎌倉]:2009年5月30日〜9月6日

29日(金)の内覧会+レセプションは盛大であったとのこと。実は(本当に残念でならないのだが)僕は職場の事情でやむなく欠席。高階秀爾槇文彦菊竹清訓二川幸夫といった錚々たる人たちがいたと、代理出席のM君が興奮気味のメールをくれた。
R0021296で、今日5月30日(土)が初日ということで、僕は家族4人で江の電に乗って鎌倉へ。
本当に予定どおりの開幕にこぎ着けられるのかと直前までヤキモキしたが、いやお見事、ちゃんと始まったのだった(笑)。公式サイトはこちら。
まずは今回美術館サイドの企画から現場まで全般をマネジメントされた学芸員の三本松さんにご挨拶。さっそく会場を案内いただいて、渋谷模型の軽微な修正点など打合せ。

_0021357それから完成したばかりの図録を頂戴する。比較的コンパクトだが、展覧会そのものが初めての包括的坂倉像の提示を試みたものなので、皆さん是非ミュージアムショップで入手を(いずれ一般書店でも入手可能になるようですが)。
図録についてもし一言いうなら、磯崎さんの(これはあえて抑制をやめたのではないかというような)力のこもった坂倉論は必読。日本的ル・コルビュジエ受容のドメスティックな文脈に対し、その戦略の外部に、つまり等身大のル・コルビュジエを直接に受肉し、またつねに開かれた場に居つづけた坂倉はむしろ周縁的な軌跡を描かざるをえなかった・・・。何とこの論考、「坂倉準三の居場所 [ I ] 」となっていて、別稿となる[ II ]が準備されているらしい!

会場には坂倉事務所の萬代さんもおられた。坂倉側の中心的オーガナイザー。萬代さんとあの中庭で立ち話をしていたら、かなり面白い(いやきわめて重要な)お話をしてくださった。知る人ぞ知るのだろうが、神奈川県立近代美術館の中庭壁面には、竣工当時からスクリーンボックスがついていたのだという(現存せず)。囲み型プランの平家池側の2階からさらにのぼる階段があるが、そこには映写室があり、中庭をはさんで反対側の壁面に引き下ろされたスクリーンに映像が投射される(いま図録中の平面図をみたら「映写幕」の文字がたしかにある)。坂倉はこの美術館を人々が集う開かれたサロンであると竣工前に明言した。これは磯崎さんの文脈とも微妙に(きっと深いところで)クロスする。つまり丹下のヒロシマのように国民的時空間のスケールで生ける人々と霊魂とがお互いにマッスのまま交信するのではなく、中庭という有限の空間に等身大の人々が集まって映画を観るのだ。これは渋谷の東急会館・東急文化会館などでの公共空間の考え方ともきわめて具体的なところでつながってゆくに違いなく、しかもスケールが極大になった新宿が力強くも破綻してしまう理由も分かる気がする。ともかく、萬代さんと議論を交わしながら、私たちを取り囲んでいる中庭が、にわかに具体的な意味をもった場、しかも思ってもみなかった明るく開かれた場へと変貌してゆくのを実感してしまった。
うーむ、僕の論考(坂倉を戦後都市史の諸文脈へ展開)もまだまだ“伸びしろ”がありそうだぞ、これは。7月12日の記念シンポジウムではこのあたりの射程をぐいと伸ばしてみたい。
いや、それより大事なのはあの中庭でどんな映画が上映され、人々がそれをどのように並んで観ていたのかという、具体的な状態を復元することだ。何か面白いことができそうな気もしますね>萬代さん
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