photographers' gallery press no.8 田本研造:北海道開拓の写真群

写真史の倉石信乃先生が、僕の神社の本を引用したので、という手紙付きでお送り下さった。倉石先生は僕のつとめている大学の理工学研究科・新領域創造専攻・ディジタルコンテンツ系で教えておられる。
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今号は明治最初期に北海道に写真館を構え、この地の交錯する植民地的コンテクストの断片を撮影しつづけた田本研造の写真496点を、北大図書館・函館市中央図書館・土木学会附属土木図書館などの協力により大変な密度で収めた一冊。淡々とした編集が写真の端的な強さを浮かび上がらせていて美しい。

なかに札幌神社の参道の写真がある。札幌が見渡すかぎりの原野であったこと、そこに膨らむ円山という丘からちょうど古代の国見のようにして開拓使本庁を中心とする都市域を原野のなかに指定したこと、そしてこの円山にご神体を遷して北海道の総鎮守としたこと、市街と丘を結ぶ国見の視線をなぞるように東西軸となる道路を建設したことなどは知ってはいたが、こうして開かれる森とキャンプらしき、村々、堤防、軌道、白々としたバルーンフレームの建物、アイヌの人々・・・といった膨大な直接的な写真群のなかに置かれると圧倒的に厚みが違う。それに、これまでにもただ資料として見てきた何枚かの写真が田本や竹林やといった写真家のものだと知ることだけで過去がぐっと重層的になる。
ある雑誌で災害後の住宅復興を人類学的な視点から検討する試みがあった。開拓ということもそこに連なる問題系だなと思った。開拓といえば台湾漢人もまた開拓者で、先住民はやがて大部分があっという間に漢化されてしまうのだが、そのとき漢人もまた台湾の土に否応なく、またしたたかに同化してきたはず。北海道開拓の写真をみて、台湾の中山間部等にまだわずかに残る竹造家屋は、彼らの開拓の家の名残なのではないかと思った。そういう重みを考えると、過去を切る(分析する)ことだけではなく、どこかできちんと残されたドキュメントを集めてまとめる作業をしなければいけないなと強く思ったのが僕にとっては大きな収穫。
しかし、これが8号だというのだが、どうやったらこんなものを出し続けられるのだろう。敬服します。
論考も、写真における表現と記録の問題、署名(作者)の問題などなどが北海道というコンテクストに織り込むように論じられていて、しかも(本書の特徴だと思うのだが)抑制のきいた文体はとりあげられた写真群の強さと齟齬がない。必読。