つづき。

台湾報告のつづきです。4月13日は台南より台北へ移動。夜、呉明修先生との会食。実は昨年末だったか、教授会中に『帝国與便所』っていう台湾で出版された日本植民地期のトイレ史の本を読んでいたら、横に座っていた坂上先生(建築設備分野を担当されている先生)が、それおもしろそうだねえ、そういうことに興味があるなら台湾にスゴイ先生がいるから紹介しよう、ということになった。それで、4月に国際会議があるので台湾に行きますと言うと、それじゃあ僕も行こう、呉先生を紹介するからさ、それで何日がいい?というようなわけで13日夜に台北で食事をすることになったのであった。で、坂上先生はほとんど私を呉先生に紹介するためにだけ、わざわざ台北に来てくださったのである。先生、本当にありがとうございます。
呉先生は現在85才。ある仕事のために台北に来ていた丹下健三に気に入られて東京の丹下事務所につとめる。丹下は当時台湾に設計の仕事を抱えていたのだが、台湾の建築師公会の求めに応じて代々木の屋内総合競技場についてスライドを使って紹介した際、呉先生が通訳を担当した。当時、建築師といえば国民党とともに大陸から渡ってきた人々であって、丹下の話を聞いたのも彼らだけだった。台湾本省人の建築専門教育は植民地時代には行われなかったし、戦後も成功大学などでようやく若い人々を輩出しはじめたばかりだったのである(呉先生は成功大学建築学科の二期生)。呉先生は丹下の話に興奮し、そして自分の後輩たちにも是非この話を紹介してやりたいのでスライドセットを貸していただけないかと思い切って申し出た。丹下は何も言わず快く貸してくれたという。すごくいい話だ。ほかにも色々興味深いお話をうかがったが、是非あらためてインタビューさせていただきたいとお願いした。

翌14日はまず国立台北科技大学にて講義(張先生、謝謝)。インドネシアのRiadiさんにつづいて僕。一番の幸運は、色々な偶然が重なって、この場に陣内秀信先生が同席くださったこと。『彰化一九〇六』での都市の切断・再生の分析、日常性あるいは住むワザの史的記述を目指す最近の研究などを話したが、先生にも強く共感いただいた模様。それにしても1週間ずっとご一緒させていただき、得難い時間をいただいたと思う。

同日午後は国立台湾科技大学での講義。鄭先生・王先生にご案内いただき会場に入ると、何と前の晩にお会いしたばかりの呉明修先生が一番前の席に座っておられる。終了後、たくさんのありがたいコメントを頂戴する。あらためて再会をお願いして別れる。

というわけでまったく書ききれませんが、多くの先生方、友人たちに心より御礼申し上げます。