生成の学というものがありうるとしたら災害こそ主題になるに違いない 〜すまいろん2009冬号・特集「災害と住文化」〜

とつねづね思っていましたが、そういう特集が出ちゃいました。中谷礼仁氏と牧紀男氏の企画。どの記事もとても面白いので是非みなさん一読を(目次はこちら)。
すまいろん_winter2009 たとえば野崎隆一氏の「コンテナ物語」は、阪神淡路大震災後のさまざまなコンテナ活用例を紹介し、「一時的な住まい」という選択肢を持つことによって我々の住宅と都市の復興がはるかに柔らかなものになりうることを示唆しておられる。松岡誠氏の「ヤミ市文化論」も面白い。前にも都市史の授業のなかで付け焼き刃でしゃべったのだけれど、ヤミ市に過度に「自然発生・カオス」といった幻想を抱くのは非常によくない。公権力も加担した組織的な、つまりは全都市的な連続を賭けたシステムであったと見る視点も一方で必要なのである。青空マーケット→連棟バラック建てマーケットというステップを踏んで(その都度クリアランスされている)、やがて恒常的な商店街や駅前広場へと引き渡していく役割を見事に果たしたヤミ市のプロセスは、ヤクザや警察もからんでオンサイトで制御されたのである。20世紀末の震災復興でも避難所→仮設住宅→恒久住宅という一見すると段階的な方法がとられているが、これは半世紀前の戦災復興とは本質的に違っているように思う。元来の家が失われて更地になった土地に着目してみれば、それは、むしろそこに一発でまっさらな「恒久的」住宅が建てられるようにするために、そこからまったく隔絶した場所で時間をやりすごすような迂回路であったと考えられるからである(最後の恒久住宅が「復興住宅」であった人にとっては迂回ですらなかったことになる)。言うまでもなく、この間に区画整理がなされるわけで、土地も建物も見事に断絶的なのだ。しかも、この方法がそれなりに機能したところに阪神淡路大震災の過去の災害との大きな違いがあるように思う。
 さて、私はというと、このところ台湾の陳正哲さんたちと地味な共同研究を続けているのだが、それはどんな建築の本にも出てこないありふれた家々を、しかも歴史的に扱うための方法の模索(ヴァナキュラーと括った瞬間に時間が消えるのはおかしい)。ここでも震災は実際に住まいのあり方を変えていくトリガーとして着眼は避けられないし、裏を返せばそれが重要な戦略にもなることがかなり明確になってきた。
 元々は、日本の植民地支配のインパクトが、意外なことに、家の中での生活の日常に垂直に降りていく回路があることに気づいて、それを描こうと思ってこの研究をはじめたのだが、やりはじめると家そのものの特質が見えてきてハマってしまう。これは『彰化』のときも同じで、都市組織 urban tissue に対する植民地都市計画の「切断」の特質を描こうと思ったら、都市そのものが面白くなってしまった。どういうことかというと、切断「後」を復元する作業をやりはじめたら、何だか生き物みたいに見えてきて、これって都市の「生成」を凝縮的に、つまりはシャーレのなかの微生物の培養実験みたいに短時間に圧縮して観察しているわけですか僕は?みたいな感じだったのである。
 都市改造だって、都市組織の側からみれば災害(人災)ですね。で、もちろん地震は不可抗力だけれど、過去を研究する者はその局面を「選ぶ」という行為によって、微生物研究者が人為的に生じさせるプロセスを、やはり意図的に起こすことができるのだとも言える気がする。そういう意味で、これは不思議な実践性をもった学問たりえるだろうと、まあそんなふうに思います。というわけで、特集のなかに我々(青井・陳)の報告も収まっていますのでお見逃しなく。

「青井、陳による報告は歴史的視座に裏打ちされたきわめて精緻な報告である。災害後の住まいの復興にかかわる、近代行政、在来工法、都市形質的特性の複雑な絡み合いを描いているが、それらの関係は固定された関係になく、その状況に応じて論理的なマトリックスから選び取られるようにして、復興後のすまいの詳細にまでダイレクトな影響を与えているのである」(中谷氏の「焦点」より)