都市史特論13/見えない都市〜磯崎新の1960年代 (最終回)

 まだまとまった研究のない日本の戦後都市史への展望を描いてこの授業を終わろうと思い、いろいろ悩んだあげく、磯崎さんが1960年代に書きまくっていた都市論の著作をひととおり読み直して紹介するという方法を選ぶことにした。それは、圧倒的な先見性(したがって射程の長さ)、膨大な勉強量・作業量、そして同時代的状況との微妙だが大きな距離、による。
 有名な都市デザインの4段階説というのを磯崎は書いている。磯崎自身、丹下研究室時代には第2段階の機能論を代表するCIAMにずいぶん浸ったが、同時期にTeam Xとかメタボリズムとかが、そして師匠の丹下も、第3段階の構造論的方法を示していく。都市をその物的形態の造型術のレベルでとらえる第1段階も、都市が混乱すればするほど逆に復活する。この論文は、これらの方法ではすでに都市は捉えられないのではないかという磯崎の直感を理論的に整理しようとするものだった。
 この頃の磯崎には、都市が見えない、急速に見えなくなろうとしている、見えないとはどういうことか、そして見えないものを操作するにはどうしたらよいのか、こうした問いを何とか言葉にしようともがいている感じがひしひしと伝わる文章がたくさんある。メタボリズムは、都市が捉えがたくなっているときに、いわば建築の枠をとっぱらうことによって短絡的に都市を可視化した。しかし磯崎は、建築は敷地を超えられないと言っている。「見えない」ことに踏みとどまらなければならない。
 「見えない都市」という文章に、「夜間の計器飛行」という比喩が出てくる。暗黒のなかでコックピットに座るパイロットに実体的環境との関係をつなぎとめるのは「計器」だけである。しかも、この計器によって見えないはずの環境との折り合いをつけながら飛ぶことができてしまう。そういう計器こそが第4段階の方法となるだろう、と磯崎は考えた。
 最初に悩んだ人の思考は、およそのちの時代の人々が考えることを、ほとんど組み込んでしまっているものだ。磯崎都市論にもそういうところがある。「都市破壊業KK」という文章は、もはや殺し屋の営みとその美学を埋没させてしまうほどに都市そのものが殺人の集積になってしまっているという寓話。あらゆるアヴァンギャルドを無効化するほど都市自体が錯乱しはじめている。それが人々の身体にまで浸透してしまった頃、都市に対して建築を透明化・一体化しようという伊東豊雄の都市論は抗いがたいリアリティを持つことになった。むかし、この歴史的関係に気づいてハッとしたことがある(拙論「透明な環境」『建築思潮』1995)。
 そのときにも書いたことだが、磯崎はしかし「計器」が実体都市から離れていることに強みがあるとも考えていた。都市と一体になってしまったものに都市を変える力はないからだ。じゃあどんな計器をつくり出してどう都市を変えられるのか、明瞭に描かれたわけではないけれども、この時に曖昧な捉えがたさをはらまざるをえなかったところに、磯崎都市論を再考する意義があるように思う。