西洋建築史05/市民生活の空間〜ギリシアとローマ〜

 メソポタミア以降の古代オリエント世界とその蓄積の上にある古代ギリシアの何が違うか。前回は構法と表現の問題を軸にしたが、その観点からみると、壁で囲われた内部の列柱ホールという構成(ペルセポリスの百柱の間みたいなもので、のちに古典期モスクにも受け継がれる)をひっくり返して、壁の箱の外周に列柱を巻き付けたことは大きな転換であるように思う。柱を中心とする比例体系(オーダー)という審美観はこの転換に基礎を置いていると思うのだ。
で、今回注目したのはもうひとつ、市民生活のための空間装置が誕生したこと。言うまでもなくアゴラである。これ以降、現代にいたるまで、西洋都市は広場を核とすることだけは維持した。しかし、ストアがわずかな厚みしか持たない細長〜い列柱郎であったのに対して、古代ローマのフォルムにはその何倍もの幅をもった広大な内部空間が現れる。つまりバシリカのことだが、その内部空間はしかし、もはや百柱の間のように扁平で二次元的な暗い柱の森ではなく、大きなスパンで十分に間を置いてそびえ立つ柱列の上に、半円アーチのクリアストーリ(トップサイドの開口部の並び)をそなえた、高く、明るく、三次元的な空間なのであった。実に古代ローマは、神殿、バシリカテルマエ、アンフィテアトロなど様々なビルディングタイプにわたって、膨大な数の人々を収容しうる巨大な空間を、しかも平地に人工的につくりあげた(ギリシアの劇場や競技場や議場の階段席は、いずれも自然地形を使ったものだった)。
次回は再び構法技術の話をすべきですね、どうして彼らはそのような壮大な内部空間をつくることができたのか、また(ギリシア人は人口が増えるとすぐに植民都市を築いたのに)ローマはなぜ100万都市にまで成長しえたのかを説明するためにも。