「違和感はなかったですね」〜北村氏インタビュー〜


1018 午後、西荻窪のご自宅に元・坂倉建築研究所の北村修一さんを訪ねた。渋谷の東急会館(1954竣工)・東急文化会館(1956)、難波の南海会館(1957)を担当された方(そして例の東名高速のトールゲートも!)。何と3時間半にわたって、人なつこい笑みとともに豊かな断片の散りばめられたお話を披瀝してくださった。横ではやはり最近まで坂倉に勤務されていた紀史さんが資料を繰ってサポートしてくださったが、そのご子息をも驚かすあるプロジェクトの話題も飛び出し・・・(要追跡!)。あと東急文化会館の設計時には駒田知彦さんら事務所のオールスターが、営団(地下鉄)のガード下に設営された臨時事務所(つまり小屋)に製図板を並べておられたという逸話にも仰天。五島慶太(言わずと知れた東急の五島)は何を建てるかは決まらなくてもここには何月何日に何かの建物を竣工させると言い、そしてともかく現場に穴を掘らせ、その目の前で設計をさせたのだとか。
しかし、やはり最も興味を引くのは既存の建物に横へ上へと建物を付加し、接合し、ネットワーク化し、部分的に新しいファサードでラッピングしてしまうといったアドホックなアーバニズム感覚が、渋谷に限らず、またターミナルプロジェクトに限らず、坂倉事務所の仕事にはいくつも見いだせるということだ。それについて、建築家はあまりそういう仕事はしないように思うんですがと尋ねると、北村さんはキョトンとされて、「ああ、そういう仕事けっこうありましたね。ただちっとも違和感はなかったですね」と。この感覚をうまく掴まえてみたいと思うのであった。