都市史特論03/理念型とその移植をめぐって〜東アジア都城論の構図〜

1016 前回は北京を散歩しながら中国都城の空間概念を単純化して取り出すことを試みた。今回はそこに意味(宇宙論的な意味)を充填する作業。しかし意味といっても、何か突然に深遠な世界に入り込んでしまうと考えない方がよいのではないかと僕は思う。簡単に言えば、宇宙/大地/都市/住居/身体の各レベルに相同的な形態論を割り当て、それらが互いに他を照らし合うようにすることが濃密な「意味」の効果を持つのである。都市が形態であるように、宇宙も身体も相似の形態として記述される。たとえば天体が不動の北極星のまわりを回転するという図を大地へ投影するかたちで皇帝を中心とする同心円状の空間概念が生み出されるかと思えば、風水説に基づく大地の地形図が逆に宇宙へ投影されて天体図を生み出したりする。そうした図が今度は身体に折り込まれもする。複数のレベルを上昇したり下降したりする重層的なパラフレーズ(paraphrase=言い換え)が揺るぎない意味世界をつくる。そのパラフレージングの糸で現実の都市形態をも縫い合わせてしまうのである。
しかし、この意味世界の強度は基本的にはタテの相似的照応に由来するので、外の世界、つまりヨコからより強力な原理が割って入ってタテ糸を切ってしまえば案外ひとたまりもない(たとえば近代という原理はそのように働く)。幸い、朝鮮半島、日本、ベトナムなどの地域は十分に周縁性を保持してくれたので、これら地域は中国的宇宙論を縮小再生産(移植)して仲間入りし、タテの世界を脅かすどころか強化してくれた。逆にいえば、中国的宇宙論を脅かさない範囲でなら、日本を含む各王国は都城の理念型を部分的にカスタマイズしており、その部分はおそらく各王国の内部世界にとっては切実な意味を持っていた可能性がある(たとえば日本の都城における宗廟・社稷壇の不在はきわめてポレミカルな問題になりうる)。なお、大陸の遊牧系勢力は自分たちが中国世界の主宰者となる際にむしろ宇宙論の整備・強化や復古的再活性化の役割を果たした。
一方、メソポタミアに起源をもつ中東地域は、異質なものどうしが交錯する開放的な交通空間をつくった。つまりヨコに開かれているのが前提とされたわけで、イスラームもその精神を継承している。宇宙論はいわば共同的な想像力なのだから交通空間では解体されてしまい、そこに往来する人々を吊り支えられる何かがあるとすればそれはいかなる形態によっても表象されない絶対者しかない(唯一神と貨幣)。というわけで、宇宙論と王権に裏打ちされた「都城」という都市類型は、中国世界(東アジア)とインド世界(南および東南アジア)では発達するが、それより西の世界では存立しない、という応地利明先生(地理学)の説はナルホドと思う。
次回は、こうした宇宙論を移植した日本で、最後の都城となった平安京が、しかし、いかに見事にディコンストラクトされてしまったかを見てゆくことにしよう。