全体ミーティング等々

1015 全体ミーティングはM2修論ではF君の台湾調査報告、Mさんの築地都市人類学、そして今日の収穫はM1のH君がかなり塚本都市建築論の読み込みを深めていること。ちょこちょこ書いているように、最近R・ヴェンチューリが思いのほか面白いことを再発見しているのだが、彼の『ラスベガス』にメガストラクチャー批判が書かれているの皆さん知ってますか。突っ込んだ分析がなされているわけじゃないけど、ポストCIAMモダニストのメガストラクチャー好みは都市の新陳代謝を歪曲しているのであって、生成変化のエネルギーを正しく見極めたくばスプロール市街地を見よと言っている。すごいね。イェールの学生たちをそうやってアジってラスベガスに連れ出したのは何と1968年のスタジオだった。もちろん、当時(今も)スプロールは予防・治癒すべき病と見なされていた。
昼休みは渋谷研究の打合せ。週末(連休)に科研費申請書の作文とか原稿書きとかしながら、渋谷駅100年史なんぞを読んで、街の変遷は少し分かった。それから『伽藍が白かったとき』(もちろんコルビュジエ)も読み進めた。コールハースがマンハッタンの研究をしたくなる理由がよく分かる。色々押さえるべきサブテーマがあるので研究を立体化する必要を感じる。
夕方18時より高見沢邦郎先生の特別講義。ご自身の住まう町田市をテキストに、都市スプロールに対する計画史のレビューと今後の縮退都市のあり方への試論。多くの先生や学生たちは都市縮退、高齢化、低密度スラム生成などの「問題」に関するお話を興味をもって聞いたのではないかと推測するが、僕が面白かったのは1970〜1990年の長期政権を誇った大下勝正市長のこと。1960年代の活発な住宅開発が人口を増大させると、彼ら新住民層に支持された社会党革新系が躍進するという、郊外的現象(原武史『滝山コミューン 一九七四』を思い起こす)。団地住民こそがさらなる団地開発にストップをかける(つまり「都市計画」を要請する)という捩じれた関係。彼らが1960年代に30代だったとすれば今は70代か。彼らの子供達の世代にはその革新的気分は伝わっていないのだろうか。もうひとつは、その対極の中曽根〜小泉の民活路線が大きな大きな歴史の断層をつくったことの再確認。