disaster

「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」付記

ウェブサイト三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960の主旨・読み方等は、サイト中に最少限の記載をしていますが、多少の補足をさせていただきます。 当サイトは、4月11日に数名の院生有志と私とで資料収集・読込みを開始し、当初より3週間後(4月末)…

10+1websiteにて牧紀男さんとの対談が公開されました。

牧紀男×青井哲人「東日本大震災を考える[2]:移動と定着のメカニズム──災害の歴史から学ぶこと」

三陸海岸都市アーカイブが成長している。

都市計画遺産研究会(日本都市計画学会共同研究組織)が作成している「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」が、前にここで紹介した後も日々成長していることに遅まきながら気付きました。まずトップページには都市計画遺産研究会の作成による「…

山口弥一郎の「集落移動」研究と牧紀男さんの「移動する人々」

昨日書いた研究室の短期集中作業・略称サンリクゼミのため色々調べている過程で出会ったのだが、山口弥一郎(彌一郎/1902〜2000)なる人物がすこぶる面白い+重要。福島県会津美里町に生まれ、亜細亜大学等で教鞭をとった山口は、東北地方の歴史・地理・民…

春の集中プロジェクト2件動いてます。

昨日4/14(木)は新年度初回のゼミということで院生3名の発表と、昨年夏の台南サーヴェイの紹介報告の後、研究室の家具設計制作プロジェクトのミーティング。地震で一部の家具が壊れてしまったため研究室の約1/3のブースを新たに設計制作しようという新入り…

彙報的備忘録3 三陸海岸都市アーカイブ

これはすばらしい! 都市計画遺産研究会(日本都市計画学会共同研究組織)が作成している「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」必見です。

彙報的備忘録2 漁村のこと

「東北地方太平洋沖地震 緊急被害状況報告 石巻」(宮城大学 竹内泰他)より: 町の主産業である漁業や工業の施設規模が、巨大であったことは、石巻市の市財政や住民の生活を大きく支えてきたともいえるが、機能が停止した現在、そのそれぞれの産業復興の展…

彙報的備忘録

所用あり盛岡に入っている牧紀男さんと電話で喋った(3/24昼前)。首都圏の関心はもっぱら放射能だが、現地では緊急期から応急期への移行が焦眉。現地の役所も仮設住宅供給で忙殺されている模様。別の情報だが国はすでに仮住まいからの再定住にかかわる計画…

1904年・1906年の台湾・嘉義大地震の被災状況の写真・スケッチ等

台湾も地震国。日本の植民統治時代では1935年の中部大震災がよく知られているが、ここでは1904・1906年の2度にわたる嘉義での震災について各報告書の画像をFlickrにあげる。これらは植民地支配(1895-1945)のなかでも早期に属すこともあり資料的価値が非常…

追記まとめ(追加は下から上へ)

*地震発生(3/11)後の個人的備忘録はこれでいちおうやめにします。 3/21:まちはサイバネティック。災害、とくに今度の津波は圧倒的に非サイバネティック。力がそのまま変形を出力するから。それでもやがてはそれを大きな成り行きのなかに溶かし込んでいく…

研究室大掃除中に地震発生。書架など倒壊も学生たちは無事。他のメンバーも無事なら連絡を。

今日研究室の大掃除をしていた10名の学生たちの無事はさっき確認できた。怪我人が出なくてよかった。ツイッターも検索しまくったら研究室の写真が出てきて、書架など倒れて足の踏み場もないような状態。他のメンバーも連絡できる状況なら連絡をください。僕…