city

今日はこの方を訪ねた。

研究室のI君と2人で1930年生まれのこの方をご自宅に訪ね貴重なお話をうかがいました。

新装 すまいろん / 日本の集落の三〇年 / 東京あんこガラパゴス

住宅総合研究財団の『すまいろん』のデザインが新しくなりました。先史集落遺構をグラフィカルに処理した新シリーズです。(それでじーっと見てたら、雑誌の英語タイトルが Smile On "Housing Forum" Quarterly であったことを初めて知りました。すまいるお…

「自然」という問題:生成的都市と不可侵の自然。

ちょっと前、某建築誌の、これからの10年を占う、みたいなアンケート記事を学生たちが研究室で読んでいたのでちょっと横に座って錚々たる人々の予言?をフムフムと聞いていたら、藤森照信先生は過去10年間で提起されたいくつかの問題が深められるのが今後の1…

2010年元旦の話。莆田 Putian での奇妙な都市体験について。(旅行記風+長文御免)

1月1日。夕方つかまえたタクシーは泉州 Quanzhou から莆田 Putian までの100Km強を飛ぶように走り、夜8時頃に我々3人を降ろした。できるだけ中心部の古い地区で降ろしてくれと運転手に頼んだが、莆田の街は不慣れで分からない、国道沿いだがほぼ中心部のよ…

厦門(アモイ)の“市区改正”

もちろん“市区改正”というのは明治の日本語(市街地改造というほどの意味)。海外では日本の植民地でしか通用しない。台湾では「亭仔脚」と呼ばれる連続した歩廊の町並みがつくられたことが知られる。さかのぼればシンガポールやペナンも、そして銀座の煉瓦…

閩南(福建南部)調査の途中報告を。

大晦日の今日は泉州。ビジネスホテルをとったらネット接続良好なので、年が明ける前にここ1週間の日誌を取り急ぎ上げることにします。みなさんよいお年を。*写真は泉州開元寺門前の路地にて。12月25日(金)台北(桃園)→厦門(高崎)。宿に入る。陳正哲兄…

入間基地周辺の旧・米軍住宅群を見る。

2009.12.15 Tue. 埼玉県狭山市・入間市の旧米軍住宅が残る一帯を研究室のK君(地元)とともに歩く。最初にたずねた入間市のジョンソンタウンは、元来は戦前期に分譲住宅地として開発された場所を、戦後に米軍住宅地としたらしい。元来の地主(ディベロッパー…

12月10日・第1回 都市発生学研究会・田中傑氏「関東大震災後の復興プロセス〜バラックから本建築へ」

この公開研究会は、主題たる都市へのスタンスをかなり絞り込んでいますから、いつまでも続けられるものではないし、2〜3年で10回やって終わりたい、その間にどうしてもこの人と議論したいという方を幅広くお招きしたいと思ってはじめました。その第1回を田…

(告知)12月10日・第1回 都市発生学研究会・田中傑氏「関東大震災後の復興プロセス〜バラックから本建築へ」

私ども明治大学 建築史・建築論研究室にて、都市とその時間を発生学的に検討する連続公開研究会をはじめます。その第1弾は、私が拝読して驚嘆した(と繰り返し言明している)『帝都復興と生活空間:関東大震災後の市街地形成の論理』(東京大学出版、2006)…

「全球都市全史研究会」はおもしろくてむずかしい研究会です。

建築のみならず歴史学、政治学、経済学などの多様な分野の方々が都市(とくにメガ都市)の環境へのインパクトという問題に挑む、村松伸さん主宰の研究会(メガ都市プロジェクトの一環)。今日はその第3回で、テーマは「生態系から見た都市とそのネットワー…

海野宿・茅葺き町家のメタモルフォーゼ

研究室旅行3日目の朝歩いた北国街道の海野宿にて。 資料館に展示されていた写真によると、昭和初期になっても旧宿駅の町並みは茅葺きと瓦葺きが混じり(大半は茅葺き)、そして寄棟の茅葺きは妻入りと平入りが入り交じるといったように、やや渾沌とした風景…

世界的にみて特異な駅空間=都市空間をつくってきた会社をたずねる。

今日は東京駅八重洲口にある株式会社鉄道会館をたずね、お話をうかがった。毎週非常勤講師として通っている前任地(人間環境大学)のS君が卒論で「民衆駅」を調べていて、彼と2人での取材だった。 (↓写真『大林グラフ』1954年12月号。手前が鉄道会館。まず…

Shibuya-style ‘scramble’ crossing came to London.

渋谷スタイルの「スクランブル」交差点がロンドンにお目見え。オクスフォード・サーカスに昨日(11月2日月曜日)。ロンドン五輪がらみの都市整備の一環みたいで、市長が「英国の工学と、日本の改良と、そして伝統的良識の勝利」と、いかにもな演説をしたと報…

建築史・建築論研究室、ゼミ生ブログもよろしく。

私どもの研究室のイシグレ君がなかなかよい夏の報告をゼミ生ブログに書いているので紹介します。 aoi-lab(明治大学 建築史・建築論研究室=青井研究室の学生のブログ)9月9日の記事 2009夏:今和次郎/南洋堂N+スクール/瀝青会/澎湖群島/台湾島

建築系ラジオにインタビュー公開。ちょっと(?)舌がもつれてますが。

10+1 websiteの建築系ラジオ r4にて公開されました。7月25日南洋堂N+スクールでお話をした後の懇親会の流れで収録することになったものですから、一仕事終わった後のビールをおいしくいただいた後、さらに赤ワインのグラスをもって南洋堂屋上テラスに移動し…

何か都市を説明する原理が求められている。渋谷学第6回研究会にて。

予告どおり、昨年からの坂倉−渋谷研究の成果に加え、戦後復興期の渋谷で都市組織が生成し、それが自己展開し、あるいは消去整理されながら、やがて稠密化して新陳代謝に入ってゆく、そのプロセスに具体的な見通しをつけてみた。小さな建物の粒(細胞)から、…

澎湖群島調査報告 その3 土地・空間・技術・・・マトリクスの限定と類型の生成について考える。

吉貝は面白い。また行きたい。というのはこんなことを考えるのがとても楽しいから。 (1) こういう三合院が・・・ (2) こうなったり・・・ (3) こうなったりしている。お分かりですね。(1)の三合院は間口10m前後、奥行13m前後。院(中庭)を囲む三つの建物で…

南洋堂N+スクール/『彰化』台湾版/建築系ラジオなどなど

まず何と言っても南洋堂の店主AさんとSさん(神戸芸工大出身)、司会をしていただいた松田達さん、コメントをくださった田路貴浩・南泰裕のお二方、嬉しい感想をくださった鹿島出版会のKさん、それからぽむ企画のHさん・Tさん(お久しぶり)・・・皆さん有り…

「自然」の科学・技術・行政という屈折したモダニズムはいかにして産み出されたのか。

国学院大学AMC棟にて行われた「第5回 渋谷学研究会」に参加した。 第5回渋谷学研究会「近現代東京の「鎮守の森」をめぐる地域史―多摩と代々木の事例から―」 発表1:畔上直樹氏(首都大学東京/東京都立大学助教) 「明治・大正期多摩における「鎮守の森」…

住総研・対論 梶山秀一郎さんらと

20090423 Thu. 大学にて近代建築史の授業を終えたあと、住総研シンポジウム「継承の知恵−保存・再生・無意識−」に行ってきた。 第78回 住総研「すまいろん」夏号 シンポジウム 対論I部:大嶋信道(建築家)/中谷礼仁(早稲田大学) 対論II部:梶山秀一郎(…

実戦的リアリズムという美学

都市デザイン研究体という伝説の運動体については皆さんご存知のはず。最近もこのブログでちょっと触れたけれど、『日本の都市空間』(彰国社、1968)の姉妹編ともいうべき『現代の都市デザイン』(彰国社、1969)から2つの図版を。左、どこか分かりますか…

ついに完成しました。

いやあ、お疲れさま。 研究室のメンバー(3〜4年生、M1)と助っ人の後輩たちが頑張ってくれていましたが、今日夜10時頃なんとか完成にこぎつけました。模型制作にあたり様々なかたちでご協力いただいた皆様ありがとうございました。 ブログでは小さい写真だ…

渋谷・東急文化会館のルーバーがカラフルだった頃があるらしい。

アメ横三十五年

どうです、激しいでしょう。何てったって「激史」ですからね。しかし表紙から想像される告発!糾弾!みたいなものではなくて、戦後日本人の克明な生活誌であり、“特殊商店街”の熱気と機構を記録した商業誌であり、戦争と植民地主義の遺産を横断するかのごと…

坂倉展勉強会にて渋谷研究の中間報告

20090228 Sat. 赤坂の坂倉建築研究所にてある展覧会の準備にかかわる皆さんの勉強会があり、わが研究室にて進めてきた渋谷研究の中間報告をさせていただきました。というわけでもう言ってしまいます。 神奈川県立近代美術館(鎌倉)にて来る5月下旬より、坂…

渋谷区役所にて資料調査等。

研究室の学生4名と渋谷区役所へ。まちづくり課の方の御協力を得て、渋谷駅周辺地区の再開発の検討のために作成された模型を拝見しました。左の写真、一見したところ実際の航空写真のようですが、実はファサード・屋上・地表面等の写真を貼り付けて作成された…

モックアップ検討+資料再調査

鎌倉のHPではまだ予告が出ていないようですが、少し前に書いてもいいと言われたので書こうかな。どうしようかな・・・決してもったいぶるわけじゃないんですが、もう少し待ちましょう。えっと我々の研究室は、ある都市的プロジェクト群の再評価を担当してい…

竹村真一郎氏インタビュー

本日(0125.Sun)、元坂倉建築研究所員の竹村氏にお話をきくことができた。まともな評価の与えられていない、いや記録さえ少ない坂倉の都市的なプロジェクト、とくに大都市ターミナル関連のプロジェクト群について、そのかなり客観的な位置づけが見えてきた。…

池辺陽の渋谷計画のことなど

(写真は記事と関係ありません) ちょっと前の話だが、11月28日に藤森照信先生の研究室にお邪魔して、ある図面を拝見させていただいた。残念ながら御都合に合わせることができず先生はご不在であったが、研究室のBさんとNくんに立ち会っていただいて2m四方ほ…

「違和感はなかったですね」〜北村氏インタビュー〜

1018 午後、西荻窪のご自宅に元・坂倉建築研究所の北村修一さんを訪ねた。渋谷の東急会館(1954竣工)・東急文化会館(1956)、難波の南海会館(1957)を担当された方(そして例の東名高速のトールゲートも!)。何と3時間半にわたって、人なつこい笑みとと…