戦後空間シンポジウム01民衆・伝統・運動体のレビュー記事3本が『建築討論』誌で公開されています。

日本建築学会〈戦後空間WG〉主催「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」(20171216)続報です。10+1 website 2018年2月号PICKUPに続き、日本建築学会のウェブマガジン『建築討論』にてレビュー記事が出ました。2誌連動企画。特集前言から引用しておきます。

10+1 website ではシンポジウムの枠組みと報告および討議の記録が掲載され、本誌では逆井聡人(日本近代文学表象文化論)、高田雅士(日本近代史)、辻泰岳(建築史・美術史)の3方にシンポジウムに参加のうえレビューを執筆いただいた。これまで建築ジャーナリズム内部の議論としてのみ語り継がれてきた50年代の「民衆論」「伝統論」が、どれほど大きな地図と錯綜した線のなかにあったのか ─── 議論のアリーナが設営し直されたという印象である。

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戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体(20181216)の内容、10+1 website にて公開

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去る2017年12月16日(土)に建築会館(日本建築学会)ギャラリーにて開かれた「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」の内容が、10+1 websitepick up にて公開されました。

 建築論の1950年代を、冷戦の政治地図のなかに置き、文学等の他ジャンルとつなぐ横軸と、1920年代から今日までの反復強迫の縦軸とから捉え直し、「戦後空間」に走る力の作用線を描き出しています。ぜひお読みください。

主旨説明 青井哲人(建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカの建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈の輻輳
Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/University of Washington/1965-)

コメント 日埜直彦(建築家/1971-)
討議

 シンポの構成は下記のとおりでしたが、字数等に制約があり、趣旨説明・講演1・講演2・コメントは青井が概要まとめ、討議部分は文字に起こしたが、会場に開いて以降の討議については活字化を見送らざるを得ませんでした。この点、活発かつ鋭いコメントを下さった来場者やWGメンバー各位にお詫びします。

 今回のシンポは2017年1月発足の「戦後空間WG」の公開キックオフでした。今後も大小のシンポジウムが続々企画されますので、みなさま議論にご参加ください!

2018年元旦をもって日本建築学会の〘建築討論〙新サイトを公開しました。

screencapture-medium-kenchikutouron*
編集委員会は2017年6月に発足し、前委員会を引き継ぎました。それ以来準備を進めてきた新しい〘建築討論〙が元旦より公開されています。medium を使い、書き手と編集者が共同でつくりあげるジャーナル的な月刊マガジンをお届けしますので、楽しみにしていただければ。

home https://medium.com/kenchikutouron
what  建築討論とはeditors and writers
archive 全記事アーカイブ


みなさま助言・情報提供・寄稿などなど、ぜひよろしくお願いします。

ところで・・・
mediumがちょっと面白いと思ったので、VESTIGIAL TAILS/TALES の medium 版を試しにつくってみました。
https://medium.com/vestigial-tails-tales-akihito-aois-notes

謹賀新年2018

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。年始にあたり昨年(2017)を振り返って書き留めておくことにしたいと思います。
1(1-3月):〈NPO法人福島住まい・まちづくりネットワーク〉による原発避難12市町村の復興を考えるための地図集『福島アトラス』に2016年秋から監修の立場で関わりはじめていたが、1月にいよいよ現地取材が佳境に。K尻さんと院生たちが記事作成。データ編を含む鬼のデザインワークは中野豪雄さん。3月10日最終校正のため中野事務所に缶詰。30日納品(しかし致命的なテキストのミスがありました。関係者各位には心よりお詫び申し上げます)。日本建築学会の戦後空間WGが1月に動きはじめている。香川県ミュージアム森美術館からアプローチがあったのは2月初だったと思う。2月25日はJIA神奈川の卒制イベントでトーク。それと・・・浅子佳英さんから東京デザインテンという展覧会の話が前年末にあったのだが具体的なMTGが2月にあり、院生急遽ガンバル。僕も勉強。3月20日川口駅前のネウロズ祭でクルド人十数人にインタビュー。彼らの生きる政治的環境と、個人的ネットワークと、日本での食い扶持について多くを学んだ。

2(4-6月):5月12日デザインハブ@ミッドタウンに搬入。14日東京デザインテン開幕(〜5月21日)。4月26日オープニングのトークイベント。そういえば4月14-15日は某OB×OGの門出ってことで箱根の富士屋ホテルに泊めてもらった。なかなかできないよい経験だった。5月14-15日は会津にて福島アトラス01の打ち上げ。首都大の饗庭伸さんたちとやってきた綾里PJの出版もこの頃かなり具体化した。6月25日tOR 05 丸子(武蔵小杉)街歩き。日本建築学会建築討論委員会の委員長をと4月に打診あり、5月中に色々考えたり人に会ったりして新委員会を整えた。

3(7-9月):恩田重直さんのシンガポールからの帰国にあわせ7月14日に台湾科研の研究会。7月17日第1回建築討論委員会。僕の方針を提示し、アイディアを出し合う。デザインの改訂に予算をあてると原稿料が削られてしまうのが悩み。8月4日ウェブデザイナー白石洋太さんの助言でmediumの利用を決心。ウェブらしい軽快さと柔軟さ、同時に個人のブログとは違う共同編集マガジン的な「わかりやすい雑多さ」を考えつつあったように思う。8月2-3日は上越教育大の小島伸之さん(憲法学)・畔上直樹さん(近代史)がお招きくださり、双方の学生による他流ゼミ。これは面白かった。ヒートアップしてゴメンナサイ、上越の夜。8月10〜20日台湾調査(二林、西螺)。また新しい主題と、そして生き生きとした若き研究者に出会ったよー。8月31日〜9月2日広島にて日本建築学会大会。9月2日に地域文脈小委員会のシンポジウム。この小委員会の展開はちょっと強引だったかもしれないけど、よい方向に進んでいると思う。そういえば前日1日夜は日埜直彦さんとサシで飲みはじめ、だんだん大勢になり、ビルの一室で最近有名な人がレクチャしはじめたところで力尽き、内容はひとつも聞いていない。9月4日〜7日は綾里。今年からは筑波大学の木村周平さん(文化人類学)の科研。民俗学の専門家数人とフィールドを共有できるという僥倖(!)。砂子浜大家の千田基久兵衛さんはじめ村の皆さんにもホントによくしていただく。

4(10-12月):10月10〜14日古建築実習で奈良・京都方面へ。今年一番感心したのは京都の無鄰菴が、市が管理していた3年前と全然違って、指定管理者の植彌加藤造園さんが見事に研究と維持管理と公開とをマネジされていることだった。福島アトラスPJは夏前から続編の準備を進めているが、8月24-26日の取材のときに02+03の分冊・同時発行というアイディアに至り、僕は引き続き監修者として全体を見るのだが、03は工学院大学の篠沢健太さん(ランドスケープ)に主導してもらい、03では必須の地形+生産イラストは以前に『建築雑誌』でお世話になったことのある野口理沙子 +一瀬健人(isna design)のおふたりに快諾いただく。先日ラフを見せてもらったのだが、もうね、スンバラシイんですよこれが。3月の刊行をお楽しみに(02も硬派に頑張ってます)。12月16日は戦後空間シンポジウム01「民衆・伝統・運動体」。戦後空間WGのキックオフ記念シンポで、鳥羽耕史さん(近代文学・文化運動史)、ケン・タダシ・オオシマさん(建築史)のご講演と、日埜さんのコメント。僕の進行以外はぜんぶ最高でした。2〜3月あたりの記事化をお楽しみに。

【再掲】要申込 「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」12月16日(土)田町の建築会館ギャラリー

戦後とはひとつの空間であった    この空間の存立構造を問う連続シンポの第1回目を行います。近代文学の鳥羽耕史さん、建築史のケン・タダシ・オオシマさん(ワシントン大学)が講演(日本語です)、建築家の日埜直彦さんがコメント。なぜ、建築家は「民衆」や「伝統」に向かうのか。1950年代の運動は、私たちの何を決めたのか。民衆論・伝統論をめぐって日本の戦後建築を考える従来の視野が一挙にひろがります!

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このポスターの制作は早稲田大学中谷研究室の重本大地君(ありがとう!)。以下、開催概要です。

1950年代の「民衆論」「伝統論」は、従来あまりに建築ジャーナリズム内的な視野でのみ語られてきましたが、これを、より大きく、うんと立体的な地図を押し広げつつ、捉え直す必要があります。そうでないと、そこに「戦後空間」は見えてきません。たとえば、あれは何か「戦後」的な「新しいリアリズム」をめぐる広範な芸術諸分野の運動のひとつだったのではないか、という視野もそのひとつである。すると、分野横断的に、広大なソヴィエト連邦の西(東欧および西欧)と東(中国および東アジア)にあった左翼芸術家たちにとっての切実な課題と、アメリカとの関係を緊密化させていったモダニストたちの問いの更新への模索とが、実践の時代に差し掛かった50年代に接近し、「民衆」や「伝統」の把握の書き変えというかたちで焦点化されていたのではないか、という見立てができそうに思われてきます。さて。

戦後空間シンポジウム01
民衆・伝統・運動体    1950年代・建築と文学・日本とアメリ

日時:2017年12月16 日(土)13:30~18:00
会場:建築会館ギャラリー(東京都港区芝 5-26-20 建築会館 1 階 ギャラリースペース)
主催:日本建築学会 建築歴史・意匠委員会(企画:同委員会 戦後空間WG)

主旨説明 青井哲人(建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカの建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈の輻輳 Architectural Exchanges between Japan and the United States: Intertwined Perspectives of 'People' and 'Tradition'
ケン・タダシ・オオシマ Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/Japan Studies Program, University of Washington/1965-)
 *日本語で講演されます。
コメント 日埜直彦(建築家/1971-) 討議

参加費:会員 1,500 円、会員外 2,000 円、学生 1,000 円(資料代含む 当日会場でお支払いください)
定 員:60名(申し込み先着順)
申 込:Web 申し込み https://www.aij.or.jp/event/detail.html?productId=610559 よりお申し込みください
問合せ:日本建築学会事務局 事業グループ 一ノ瀬 TEL:03-3456-2051 E-mail:ichinose@aij.or.jp

<主 旨>
建築論・建築的実践が接続すべき人々(people)を呼ぶ日本語は、時代によってさまざまに変転してきた。国民、人民、民衆、人間、大衆、住民・・・。これが底流的に、あるいは反復強迫的に、〈戦後空間〉という磁場のひとつの極をなしてきたといってよいだろう。しかし、なぜそうなったのか。
このシンポジウムでは、1953~57年頃の「民衆論争/伝統論争」の《周辺》を問う。これら論争は、従来、丹下健三西山夘三近代主義マルクス主義の対立)、丹下健三白井晟一(弥生的洗練/縄文的野蛮)といった対立の図式として知られ、また民衆的エネルギーの建築的表現という問題系においてメタボリズム運動の前史として捉えられることもあった。しかし、これらはあまりにも「建築」(建築ジャーナリズム)内的な論調であり、少し視野を広げるだけで50年代の建築をとりまく状況はかなり違って見えてくる。
ここでは文学をみてみよう。中央・地方の文芸誌の運動、文化サークル運動、生活記録運動、国民的歴史学運動、アヴァンギャルド文学・美術の運動・・・。そこには、戦前と変わらぬ教条的・定型的な抽象的議論をふりはらい、一歩踏み出して、作家(専門家)が民衆・社会にどのように方法的につながるかを模索する「新しいリアリズム」が実践を通して目指されていた。
このような視角から建築の1950年代を見直すと、そこにも多数の小さな「運動体」の簇生、建築雑誌編集者たちの「運動」、あるいは農村を目指す「運動」などがあり、やはり「新しいリアリズム」の獲得が目指されていたことがうかがえる。朝鮮特需、ビルブーム。復興から成長へ、民主化から右傾化へ、という時代の趨勢は、進歩的建築家を糾合した戦後間もなくの運動体NAU(新日本建築家集団、1947-)を崩壊させたが、その後にこそむしろ実践の可能性が探索されたのだろう。
一方で興味を引くのは、「民衆」「伝統」をめぐる議論に、特徴的な「世界地図」が見えそうなことである。「新しいリアリズム」を目指す運動は、ソヴィエトの東西両周辺で起きていた。つまり東欧諸国(および西欧の左翼)と、中国(および東アジア・中米の左翼)である。そこには広大な〈国際空間〉がイメージされていた。
そのようにみるとき、他方で、アメリカ合衆国と日本のあいだにつくられた文化・情報の〈交通空間〉の重要性もまた明らかになってくるだろう。この線を通じての日米の人的交流もまた、「新しいモダニズム」という回路において「民衆論/伝統論」を活性化させただろう。
戦後空間シンポジウム01では、以上のように(1)文学の潮流を参照し、(2)アメリカとの人的交流を見ることによって、「民衆/伝統」をめぐる議論と運動についての私たちの見方を立体化し、「戦後空間」のひとつの捉え方の可能性を見出したい。

研究室10周年記念サブゼミ大会にて國分功一郎『中動態の世界』を読む。

國分功一郎『中動態の世界』(医学書院、2017)を読んだ。OB・OGが研究室10周年の集まりを企画してくれ、その第1部としてサブゼミ大会(OB・OGをまじえた文献購読ゼミ)をやることになったので、課題図書にこれを選び、皆で議論した。

完全な能動でも完全な受動でもない、あるいはその両方でありうるような、私たちのごくありふれた思考や行為のあり方を適切に表現できる言葉の可能性、具体的には動詞の「態」を探索・開拓する本。私たちがより自由になり、より生きやすくなることについての本だから、都合のいい読み方するとオイオイってなっちゃう本でもあると思った。他方で、私たちが考えてきた都市や建築の無名的ないし集合的な動的世界の「態」と、もう一方の「主体」や「意志」といった主題を考え直すよい機会になった。それはともかく、「態」をめぐる言語哲学的な推論の系譜がわかりやすく跡付けられた本でもあり、一読の価値あり。

世界の多様な言語のなかには、動詞の「態」が、能動と受動だけでないものがある。たとえばギリシア語の peitho という動詞を例にとり、「私」を主語とする文を考えると・・・能動態では「私は説得する」、受動態に活用させると「私は説得される」となるが、もうひとつ、中動態と呼ばれる態がある。この中動態に活用させた peithomai を使うと、私が私自身を説得する、つまり、「私は納得する」という意味になる。「私を」という再帰的な目的語は不要。一瞬ピンとこないが、動詞を活用させるだけで意味(sens =方向)が変わる。

数千年あるいは1万以上前には、世界のさまざまな言語に中動態的なものがあったらしい。ところが、いまなお中動態を残しているギリシア語ですら、古代においてすでに、能動と受動とを対立させ、そのうえでどちらにも分類しがたいものとして「中動態」をネガテイブに(あらず、あらず、というかたちで)規定するのが普通になっていた。しかし、歴史的には、受動態はむしろ中動態の派生形であったらしく、能動態と中動態の対が先行するようなのだ。

つまり、《能動/中動》というセットが、《能動/受動》というセットに、支配的なフレームの座を奪われていく、そんな地殻変動が「言語〜思考」系に起きたらしい。「中動態」という名付け自体が、古代に文法学が発達したとき、すでに《能動/受動フレーム》が当たり前になっていて、両者に対する第三項という発想から与えられたものだから、かつての《能動/中動フレーム》を考える作業はどうにもぎこちないものになってしまうという、ややこしい事情もある。だって能動と中動じゃ、ぜんぜん対になっていない。

ここが重要なポイントで、対立の相手が違うなら、じつは「能動」の意味も今日とは違っていなければならない。実際、どうやらかつては、能動態の表現をする際の主語は、極端にいえばたんに人や物に働きかけるだけであり、実際にその人や物において起こる変化・効果からみれば、その契機を与えているにすぎないという捉え方がなされていたらしいのだ。そして中動態とは、その変化・効果が主語という座において起きていることを表現する態だったという。

上にあげた例、同じ動詞でも活用によって「説得する」が「納得する」になるという、あの再帰的な意味合いへとクルっと方向が変わる感じがおもしろい。別の例も紹介しよう。「馬の綱を外す」、という動詞があって、その能動態ではたとえば従者が主人のために馬の準備をすること、中動態では自分が自分で馬に乗ることを意味したという。綱を外す、という動詞が、中動態では綱を外して馬にまたがり駆け出していく、という行為の継起(シークエンス)、あるいは一定の持続を含んでいるように思われることは興味をそそる。このように、中動態とは、動詞の指す行為が主語自身において引き起こす変化や出来事を意味するように使われたらしいのである。

いかえれば、かつては「誰が」という主体よりも、「どう変わっているか、何が起きているか」、つまり動詞が指す行為=入力が、その作用が及ぶ場=系に引き起こす効果にこそフォーカスがあった。そのうえで、主語がその効果の生じている現場に対して、外から入力をしている者か、当の変化とともにある者か、によって動詞を活用させていた、と解釈できる。

中途は飛ばす。スピノザ(1632-77)の『エチカ』にある、「変状」の二段階説が、じつは本書の議論の要約になっている。すなわち、スピノザの語法でいえば、ある「様態」があって、そこに外部の原因が作用するとき、それは「外態」として記述される。ついで、これを受けた様態が、それ自身を座として変状の過程に入る。この変化は「内態」として捉えられる。この変状は、外力が物理的につくり出すのではなく、様態自身の(その本質を維持しようとする)固有の特質に規定されるかたちで進むのである。

スピノザは中動態についてはふれていないようだが、この理解は、古い言語における、変化や出来事に着目して主語の位相をみわける、あの観点と通じる。

ここまで来ると、著者國分功一郎が説く理解の枠組みとは、サイバネティクス的なシステム論、あるいは生態系論、オート・ポイエーシス理論、免疫論、創発論・・・などと基本的に同じものだとわかる。スピノザの「様態」は系であり、外部の「原因」は系への入力、「変状」は系が表現する出力、ということだ。スピノザは汎神論だから、すべては神であり、その神が姿を変えたひとつひとつの現れが「様態」と呼ばれていたわけであり、ある「様態」が他の「様態」と相互に作用することを上記の二段階説で説明するのだが、スピノザにおいてはそれもすべてが神の再帰的・自己言及的なとどまるところのない複雑な変化なのであった。サイバネティクスはここから「神」を消したもので、だから小さな要素間の相互作用がつくる系を階層的に積み重ねていくその思考によって最終的に世界や宇宙を説明しようということになって、くるっとまわって汎神論と同じようなものになる。

10年前に研究室が発足する少し前からぼくが考えていたのは、ベイトソンなんかを参照しながら、都市の動態をサイバネティクス的に考えるということだった。とくに近代都市計画史が、計画する者/計画される者という能動/受動フレームで語られていたことにすごく違和感があり、いずれにせよ都市のプレイヤーたちはどんな立場であれその相互作用によって「都市」と名指されるような何かを効果として生み出している、それを裏からいえば、都市史の主語を「都市」とすればよいのではないか、ということだった。

この見方を、災害の理解の仕方にも意識的に連続させてきた。ある社会の表現する出力が災害過程であるが、それは外力が直接決めるのではなく、その社会の特質が決める、と考えるのである。社会は地震津波に対してたんに受動的なのではないし、だからこそ社会を変えていく可能性が探求できる。

そして、そこには「意志」が求められる。

本書では「意志」をめぐるハンナ・アレント(1906-75)の議論も参照されている。アレントによれば、普通わたしたちが意志とみなしているものはすべからく「選択」にすぎない。過去から流れてきた幾筋もの線がつくる現在の文脈において、私たちはつねに大小の岐路を選んで生きている。それは日常であり、事実にすぎない。意志は、何らかの選択がなされた後に呼び出されて、過去と切断された始まり、のちの選択が繰り返しそこに遡って検証されるような原点、起源、つまりゼロ地点を仮構するにすぎない。

いや、「すぎない」というのは國分の論調であって、アレントは違う。意志なしには動かないこと、たとえば公共性という水準がたしかにあるし、事後的な仮構であっても現にその後にそれなしにはありえないような特異な磁場が生まれることがある。都市や建築では、むしろそれが求められる。膨大な選択を重ねた先に、どこかで決定的な「意志」の承認が要請される。誰も完全に能動的で全能的でないがゆえに、集合的な意志、あるいは建築家と名指されるほかないものの意志が、ゼロ地点をつくる。それは過去を切断するが、しかし過去の堆積でもあるという両義性をもつ。意志とはそのようなものだろう。

結局、中動態は能動性の契機を含んでいて、それをどう捉えるかという問題、あるいはどこかで意志が呼び出されるという問題が、本書を通じて浮かび上がらざるをえない。都市史・建築史としても、スピノザ汎神論的あるいはオートポイエーシス的な都市観は、あまりに素朴な能動/受動フレームを相対化するうえで有効だが、そのうえで、「意志」の召喚という問題をあらためて扱う必要がある。これが本書を読んだ私たちの収穫だった。

要申込・先着順! 「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」12月16日(土)田町の建築会館ギャラリー

戦後とはひとつの空間であった    この空間の存立構造を問う連続シンポの第1回目を行います。
1950年代の「民衆論」「伝統論」は、従来あまりに建築ジャーナリズム内的な視野でのみ語られてきましたが、これを、より大きく、うんと立体的な地図を押し広げつつ、捉え直す必要があります。そうでないと、そこに「戦後空間」は見えてきません。たとえば、あれは何か「戦後」的な「新しいリアリズム」をめぐる広範な芸術諸分野の運動のひとつだったのではないか、という視野もそのひとつである。すると、分野横断的に、広大なソヴィエト連邦の西(東欧および西欧)と東(中国および東アジア)にあった左翼芸術家たちにとっての切実な課題と、アメリカとの関係を緊密化させていったモダニストたちの問いの更新への模索とが、実践の時代に差し掛かった50年代に接近し、「民衆」や「伝統」の把握の書き変えというかたちで焦点化されていたのではないか、という見立てができそうに思われてきます。さて。

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このポスターの制作は早稲田大学中谷研究室の重本大地君(ありがとう!)。以下、開催概要です。

戦後空間シンポジウム01
民衆・伝統・運動体    1950年代・建築と文学・日本とアメリ

日時:2017年12月16 日(土)13:30~18:00
会場:建築会館ギャラリー(東京都港区芝 5-26-20 建築会館 1 階 ギャラリースペース)
主催:日本建築学会 建築歴史・意匠委員会(企画:同委員会 戦後空間WG)

主旨説明 青井哲人(建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカの建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈の輻輳 Architectural Exchanges between Japan and the United States: Intertwined Perspectives of 'People' and 'Tradition'
ケン・タダシ・オオシマ Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/Japan Studies Program, University of Washington/1965-)
 *日本語で講演されます。
コメント 日埜直彦(建築家/1971-) 討議

参加費:会員 1,500 円、会員外 2,000 円、学生 1,000 円(資料代含む 当日会場でお支払いください)
定 員:60名(申し込み先着順)
申 込:Web 申し込み https://www.aij.or.jp/event/detail.html?productId=610559 よりお申し込みください
問合せ:日本建築学会事務局 事業グループ 一ノ瀬 TEL:03-3456-2051 E-mail:ichinose@aij.or.jp

<主 旨>
建築論・建築的実践が接続すべき人々(people)を呼ぶ日本語は、時代によってさまざまに変転してきた。国民、人民、民衆、人間、大衆、住民・・・。これが底流的に、あるいは反復強迫的に、〈戦後空間〉という磁場のひとつの極をなしてきたといってよいだろう。しかし、なぜそうなったのか。
このシンポジウムでは、1953~57年頃の「民衆論争/伝統論争」の《周辺》を問う。これら論争は、従来、丹下健三西山夘三近代主義マルクス主義の対立)、丹下健三白井晟一(弥生的洗練/縄文的野蛮)といった対立の図式として知られ、また民衆的エネルギーの建築的表現という問題系においてメタボリズム運動の前史として捉えられることもあった。しかし、これらはあまりにも「建築」(建築ジャーナリズム)内的な論調であり、少し視野を広げるだけで50年代の建築をとりまく状況はかなり違って見えてくる。
ここでは文学をみてみよう。中央・地方の文芸誌の運動、文化サークル運動、生活記録運動、国民的歴史学運動、アヴァンギャルド文学・美術の運動・・・。そこには、戦前と変わらぬ教条的・定型的な抽象的議論をふりはらい、一歩踏み出して、作家(専門家)が民衆・社会にどのように方法的につながるかを模索する「新しいリアリズム」が実践を通して目指されていた。
このような視角から建築の1950年代を見直すと、そこにも多数の小さな「運動体」の簇生、建築雑誌編集者たちの「運動」、あるいは農村を目指す「運動」などがあり、やはり「新しいリアリズム」の獲得が目指されていたことがうかがえる。朝鮮特需、ビルブーム。復興から成長へ、民主化から右傾化へ、という時代の趨勢は、進歩的建築家を糾合した戦後間もなくの運動体NAU(新日本建築家集団、1947-)を崩壊させたが、その後にこそむしろ実践の可能性が探索されたのだろう。
一方で興味を引くのは、「民衆」「伝統」をめぐる議論に、特徴的な「世界地図」が見えそうなことである。「新しいリアリズム」を目指す運動は、ソヴィエトの東西両周辺で起きていた。つまり東欧諸国(および西欧の左翼)と、中国(および東アジア・中米の左翼)である。そこには広大な〈国際空間〉がイメージされていた。
そのようにみるとき、他方で、アメリカ合衆国と日本のあいだにつくられた文化・情報の〈交通空間〉の重要性もまた明らかになってくるだろう。この線を通じての日米の人的交流もまた、「新しいモダニズム」という回路において「民衆論/伝統論」を活性化させただろう。
戦後空間シンポジウム01では、以上のように(1)文学の潮流を参照し、(2)アメリカとの人的交流を見ることによって、「民衆/伝統」をめぐる議論と運動についての私たちの見方を立体化し、「戦後空間」のひとつの捉え方の可能性を見出したい。